乳児と一緒に毎日過ごしていると、
生まれながらにして持っている生命力にびっくりさせられます。
ゴクゴクと母乳を飲み、嫌なことがあると泣いて訴え、
そして、あやすとニコッと笑う。眠くなったら寝る。
まだ言葉も話せないし、出来ないこともたくさんありますが、
ちゃんと栄養を摂り、よく寝て、そして快不快を表現できます。
愛嬌もたっぷり備わっています。だから親は赤ちゃんのとりこになるわけです。
亀の甲より年の功、とは言いますが、
大人になるにつれて、出来ないことも増えてしまう気がします。
食べることを疎かにしたり、疲れているのに夜更かししたり、
誰かに助けてもらいたいのに「助けて」と言えなかったり、
素直に笑顔で「ありがとう」と言えなかったり。
特に対人関係における素直さというのは、人と生きていくうえで欠かせないように思います。
大人になると、意地や見栄が邪魔をして素直になれないことがあります。
この点、動けなくても、大人を目で追いかけ、あやすと笑う赤ちゃんは、
生まれながらにして素直に交流を楽しむ力を持っていて、感心させられます。
亀の甲より年の功、とは言いますが、
積み重ねてきた経験が、時には足かせになってしまうことがあります。
自分が経験してきたからと、
相手を理解した気になって考えを押し付けてしまったり、
無用なアドバイスをしてしまったり。
これまで経験したことが無いからと、
未知なる何かに臆病になってしまったり。
先日、素敵な助産師さんとの出会いがありました。
例えばお母さんが「母乳を全然飲んでくれなくて」と助産師さんに相談したとします。
多くの助産師さんは、「飲むまで根気強く待てばいいんですよ」とか「こうやって飲ませればいいんですよ」とかなんとか、
その方の経験に基づいて、「具体的な」アドバイスをします。
でもその助産師さんは、何よりお母さんの表情をよく見る方でした。
「飲むまで根気強く待てばいいんですよ」と言われて「やってみよう!」と思うお母さんもいれば、
「ちゃんと母乳を飲ませる時間を設けられているのであれば、飲まない時があっても大丈夫ですよ」という一言に安心するお母さんもいるし、
まず何より「お母さん、毎日、がんばって試行錯誤しているんですね」と労ってほしい、疲れたお母さんもいます。
実際に「母乳を飲んでくれなくて」という相談に遭遇したわけではないのであくまで例えの話ですが、
とにかく、その助産師さんは、
自分の具体的な経験よりもまず、お母さんの表情を優先して、答えを選ぶ方でした。
その助産師さんが唯一気にしてほしいことは、
「赤ちゃんの体重がそれなりに増えているかどうか」だけ。
どれくらい外出させているかとか、まだ首が据わらないとか、
紙おむつか布おむつかとか、習い事を早速させているかとか、
そういう細かなことは、何でもいい。お母さんの好きなようにしたらいい。
ちゃんと体重が増えていたら、
それだけで赤ちゃんの「おなかすいた」のサインに気付いてあげられる、
立派なお母さんだと思うんです、とのこと。
30年助産師をしていれば、
きっと育児の流行り廃りもあるでしょうし、
「最近のお母さんは」と思うことがあってもおかしくないはず。
でも、その方は、30年間の経験を通して、
「お母さんを肯定するのが一番」「お母さんを安心させてあげたい」と思ったのではないでしょうか。
わが子の生命力は、27年生きた私のちっぽけな年の功に勝るものがありますし、
その助産師さんの年の功には、私の持ち物どれをとってもかないません。
ちなみに私の娘は、本当に手がかからない子なのですが、
その助産師さんは
「きっとお母さんが落ち着いているからなんでしょうね。
お母さんがイライラしたり、何かと悩んでいると
赤ちゃんもわかるみたいですよ。
これだけ赤ちゃんが落ち着いているのは、
お母さんが安心させてあげられてるからですね。素晴らしいです。」
と言ってくださいました。
もちろん、赤ちゃんの個性と環境はほとんど関係ないというか、
よく泣き抱っこをせがむ子の親御さんが、赤ちゃんを不安にさせているということは、断じてありません。
が、私が、助産師さんのその言葉に「今の子育ての仕方でいいんだな」と安心したのは事実です。
年を取ると、それだけ経験が増えていきますが、
その経験を悪いほうに使って、自身の感受性を磨くのを疎かにして、若い人を攻撃することもできる。
けれども一方で、よりしなやかな人になり、若い人に温かな手を差し伸べることもできる。
後者の、傲慢なところがなく積み重ねられた年の功は、なんとも美しいものです。
P.S.
夏の終わり、秋の始まりを感じる時期ですね。
季節の変わり目、お身体大切にお過ごしください。