最近、立て続けに不注意で物を壊してしまいました。
代償は決して安くはありません。
両手に溢れそうなタスクを抱えていっぱいいっぱいな時や張り詰めた糸が切れたそんな時に、私は物を壊してしまう。
そして気付きます、物を大切にできていなかったな、と。
使えなくなるとすぐ、無いと不便だなと感じます。
「どうしよう、困ったなぁ」と思います。
けれどもまた少し日が経つと、今度は不便な状態に慣れてきます。
「無いと困る」と思うようなものも、意外と無くても暮らしてゆけます。
4人家族が暮らしているこの家では、食べ物や日用品など、定期的に買い足さないといけないものもたくさんあるし、
子どもの成長に合わせて、新たに必要な物が出てきます。
すると一つ一つのものを意識して大切に選ぶ、そして使う、ということが難しくなってきます。
結婚当初、ダイニングテーブルや照明など、夫と何度も家具屋さんに足を運んで、一生使いたいと思えるものを購入しました。
それらを新生活の暮らしの真ん中に置いた時の高揚感は、今でも鮮明に覚えています。
しかし今は買い物は別物です。
子どもの機嫌が悪くならないうちに、テンポよく漏れなく買う。
ひとつひとつ大切に選んでいたあの頃と同じように時間をかけることはできません。
そうして日々を送るうちに、「物」に対するありがたみが、だんだん薄れてきてしまったのかもしれません。
壊れてしまった物たちは元には戻らないけれど、自らを犠牲にして、大切なことを教えてくれた気がしました。
ところで、物を壊したその直後から、
私はあまり落ち込んだりすることはなく。
人の身体や命に関わるような出来事でなくて良かったなとか
また手に入るもので良かったなとか
あっけらかんとしていました。
お金はかかれど、物はまた手に入ります。
代償は決して安くはないけれど、それが今の私にとっては大したことではないのです。
とはいえ「また買えばいいや」と思っているわけでもありません。
自らの不注意で壊してしまった物に対して、
申し訳なかったなぁと思います。
もっと長く使えたはずなのに。
見知らぬ誰かが作ってくれた物なのに。
物を大切にすること、それは道徳的に大事なこととか、それだけではなくて
幸福感に繋がると思うのです。
物が大切にできるように、持ちすぎないこと。
物理的な物も、頭の中にある考え事ややりたいことも、多ければいいというわけではありません。
大切にできる分だけ手元にあれば良い。
ところで先日ひまわり畑でひまわりを摘んできました。
大きな黄色い花は家を明るくしてくれたのですが
帰宅後、育児や家事にすっかり追われて
適当に水に差していたら萎れてきて
焦って調べて、そこではじめて
ひまわりの花の適切な管理の仕方を学んだのでした。
茎が腐りやすいから、お水を入れすぎないこと
大きな葉から水分が出ていってしまうから、葉はほとんど取ってしまうこと
時々茎を少し切って、断面を新鮮にしておくこと
それらを実践して、またひまわりが上を向き始めました。
余裕がなくて枯れさせてしまうなら
花は手元にない方が良い。
けれども少し手をかけてあげると
花との対話が日々を少し豊かにしてくれる。
気がつくとひまわりのお世話がすっかり楽しくなって
我が子のように愛おしくなっていました。
私の周りで暮らしを支えてくれている物たちには、命はありません。
けれども粗末にするより、大切にする方が、こちらも幸せ。
たくさん恩恵を受けて暮らしているわけですから。
物に恩返しできるくらいには、常に心に少しのスペースを残しておきたいなぁ、と思ったのでした。
↓長女がパパの力を借りて作った恐竜、私のお気に入りです





