birthday その2

娘、2歳。

私の誕生日の2週間後には、娘の誕生日です。

 

今日は

・成長の様子

・娘に書いた手紙

の2本だてです。

 

⚪︎成長の様子

1歳までは毎日、自分の日記と別に成長の記録をつけていましたが、今は日記しか書いてないので今後の自身への記録用です。

 

【身体面】

・歩くのはもちろん、走るように。

・手先が器用に。筆圧が強くなり、筆やクレヨンで色付けできるように

・型はめで形の区別がつく。

・アスレチックで登ったり、滑り台を1人で滑ったり、行きたい場所へ進んだり、思いのままにできる。

・お昼寝は12時ごろから2時間弱。夜は20:30〜6:30頃まで寝ることが多い。

 

【ことば】

・ママ、にゃんにゃん、なに〜?、ねんね、など話す

・パパも「ママ」、わんわんも「にゃんにゃん」、パンダは「パパ」、くまも「パパ」になってしまっている

・親の言っていることはかなり理解していそう。話せなくても「みずのむ?」「おやつにする?」「おふろにする?」などわかる。

 

【情緒面】

・親が勝手に介助すると嫌がったり、1人でやろうとしてできないとじれたりする。自我が育ち始めている。ただ、例えばお出かけが嫌な時でも、「どっちの靴下にする?」と聞くと楽しそうに選んでお出かけモードになる

・図書館などではひとり遊びが中心だが、親に一緒に遊んで欲しがる。おままごと、絵本読み聞かせ、パンダさんのぬいぐるみと遊ぶのがお気に入り。

 

【食事】

・ほぼ大人と同じもの。ハサミで切ってあげている。

・スプーンを使ったり、コップやストローで飲んだり。同月齢の子よりかなり上手に食べられる。

・集中力もあり、かなり長いこと座って食べられる(40分くらい?)

・一時期より、選んで食べる。が、親が促すと、大抵後から食べる。

・食事の時、お食事エプロンやお水、フォークがないと、教えてくれる。

 

【全般】

・ひとつのおもちゃで集中して遊ぶように

・英語は「Hello」「blue」くらいだが、渡米当初より馴染んでいる

・パパ帰宅後は生粋のパパっ子

・一時期トイトレしていたが、最近はしていない

・お手伝いをしてくれる。料理中に見に来て野菜をボウルに入れたり、お水を注いだり、混ぜたり、パパのサンドイッチを作ってくれたりする。

・自分のことをある程度できる。お風呂後、汚れた服を洗濯機に入れ、オムツを捨ててくれる。朝は服を選んで(普段着替えをする)バスルームまで運んでくれる。

・車は、行きは30分くらいまでなら何もなくてもご機嫌で乗っていてくれる。帰りは簡単なおやつを与えると静かに食べていてくれる。

・寝かしつけは長い時は1時間以上かかる。早い時もある。布団に入って一緒に手遊びをするのが好き。

・全般的に、穏やかで、親の近くにいるのが好きで、手がかからない。

 

⚪︎娘に書いた手紙

娘が1歳になった時にも、ちょっとしたメッセージを育児日記の最後に書いたのですが

2歳になった今回も、便箋2枚分の手紙を書きました。

どちらも内容は2歳向けではありません。

 

主には

・好きな人やものに囲まれて暮らしてほしいということ

・一緒にいて苦しいと感じる人や、面白いと思えないことがあれば、嬉しい・楽しいと思えない自分のことを否定せず、負の感情も大切にしてほしいということ

 

去年のメッセージを読み返したら、やはり「好きな人やものに囲まれていてほしい」と書いていました。

 

どんなふうに育ってほしいとか

こんな人になってほしいとか

そう思うのもそもそも烏滸がましいのですが

 

「自分」を大切にしている人は

他人を大事にできるし

身体も大事にできるし

自分で壁を乗り越えられたり

自分に正直に道を選べたりして

生きやすいのかなと思っています。

 

現実の世界は

娘が見ている絵本やぬいぐるみの世界と違って

厳しいことがたくさんあります。

1人の子の母であるだけの私がその世界を変えることは難しいけれど

その世界を見る娘の目を養うことは、ある程度できると思います。

 

まだ2年しか子育てをしたことがないので

娘の反抗期、思春期、受験や巣立ちなど

いろんな場面で暴走して、あれこれ押し付けてしまわないか

自分のことが心配です。

 

だから、半分は大きくなった娘に渡す目的で、

もう半分は子育ての折に自分が見返す目的で、

封をせずに封筒に入れました。

 

有名な大学に行ったとか

スポーツや音楽の大会で優勝したとか

何かの役職についたとか

そんなことは表面的で

表面的な肩書きでしか自分を評価してあげられないのはとても悲しいことだと思います。

 

それから、

世間で評価されている作品を面白いと思えなかったり

やりたいと思っていたことが自分に向いてないなと思ったり

人の考えに賛同できなかったり、考え方を押し付けられてしんどかったり

そういうこともあると思います。

 

これらはみな、自分の感受性がちゃんと機能している証拠です。

実は楽しくないな、実はやめたいな、実は距離を置きたいな、という心の声に正直に

時には思い切った決断をすることも大切です。

負の感情があってこそ、好きな人やものが見えるものだとも思います。

 

「自分」を大切にすることは、生きる上で全ての土台になります。

そして、その根っこは、子どものうちに育つものと思います。

 

だから受験だとか就職だとか

そういう目の前の壁に一生懸命になって

子どもを見れない親になりたくないのです。

 

「あなたはあなたのままでいい」

「あるがままが素晴らしい」

育休中にカウンセリングの勉強をした時に、ぜひこういう言葉をたくさん子どもにかけてあげてください、と言われましたが

以後ずっと、娘と過ごす時、常に心の奥底に置いている言葉です。

何かができたからすごいのではなく、

存在自体がすばらしい。

何かができなくてもいいし、それがいい。

手紙の最後にも確かこのようなことは書いて、2年間育てさせてもらった感謝で締めくくりました。

 

娘を育てさせてもらえていることは

奇跡でしかないのです。

そもそも子どもは授かりものだし

今後、娘に弟や妹が出来たとしても、娘と同じ子には成り得ません。

 

その娘に対して

烏滸がましいけれど

大人になって、幸せに暮らしてくれたら嬉しいなと思ってしまいます。

好きなものを見つけるのが得意で、

好きな人たちに囲まれて

(1人が一番なら1人の時間をこよなく愛して)

好きなことに熱中して。

 

きっと娘は、自分が幸せになれる場所を既に知っていると思います。

その娘の成長を邪魔しないように歪ませないように

夫と一緒に、大事に育てていけたらいいな、と思います。

 

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(娘の誕生日ケーキと見せかけて、

夫が私の誕生日に作ってくれたケーキですw)

birthday

昨日、誕生日を迎えて29歳になりました。

今回はいつにも増して長い日記です。

 

4月はいろいろとうまくいかないことが多くて

寒くて暗い外の世界に落ち込んだり

丸一日、高熱にうなされたり

ちょっとした息苦しさ、不満や疲労感、後悔がそれぞれあったり

そこから抜け出せず

まあとにかく病んでいました(笑)

 

毎日をこなすのにいっぱいいっぱいで、当日も自分の誕生日をあんまり自覚できていなかったのですが

これを書いている今、心持ちは大きく違います。

 

まず誕生日当日に行ったSandy(前回の記事の最後に登場した初めての「おばあちゃん」のお友達)のお家では

素敵なプレゼントを用意してくれていました。

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まだ数えるほどしか会ったことがないのに

私にぴったりのカードを用意してくれ

お茶とお菓子も添えられていて。

でも何故か申し訳ないとは全く思わずに、リラックスして受け取っている自分がいました。

 

のびのびと最近あった嫌なことを「聞いて」と話したり

Sandyに「これまでどんな仕事をしてきたの?」と自由に聞いているうち

かつて図書館で働いていたことを知りました。

 

前回会った時に私が大好きな刺繍をSandyもやると知り(初めての訪問で壁にクロスステッチの素敵な作品がたくさん飾られているのを見たのです)、

そして今回、本が大好きだと知る。

私が熱中して読んでいるJudy Moodyシリーズの話や、Paddington大草原の小さな家で盛り上がるうち

私でも読めそうなレベルの本を教えてくれ、さらには寝室にあった『オズの魔法使い』をくれました。

 

「居心地が良いから来週も来ていい?」と言うと

「もちろん、毎週、好きなだけ」と笑って言ってくれました。

 

大人になってから出会う友人には、「大親友」だとかいうことは軽々しく言わなくなるもので

出会いから既に、今後合わないな、と思う一面が出てくれば、自然と縁が離れていくものだろうな、と思っています。

それは、同じ一人の人でも、人にはいろんな面がある、ということを実感しているからです。

Sandyとも、ひょんなことから会わなくなってしまうかもしれない。

だけど、だからこそ。ありのままの自分で今過ごせていることがすごく嬉しくて、ありがたいなと思っています。

Sandyの家からは湖が見渡せるのですが

その景色も相まって、自分が小説の中に迷い込んだような感覚になります。

初めてのアメリカ育ちの友達、40歳くらい年上の友達。

いつか会わなくなってしまうかもしれないけれど、会えるうちに、私の心の栄養を蓄えさせてもらおうと思っています。

 

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誕生日の当日に話を戻します。

夫は早く帰ってきてくれ、夜はテイクアウトしたハンバーガーを食べながらズートピアを見ました。

前日の寝る前、「明日どっかレストランでも行きたい?」という聞いてくれた夫に

「そうか、明日誕生日か、うーんと」と、その場で何がしたいか考えながら答えた私の要望どおりに。

 

娘がいると見れないと思い込んでいた映画も、思いの外3人で熱中して、

「ディズニー映画ってこんなに素晴らしいの!?」と夫婦で言い続けた2時間でした。

私の誕生日のおかげで、日々の楽しみがまたひとつ増えました。

今日もまだディズニー熱が冷めず、さっそく別の映画を見始めています。

 

仕事が大変な夫に正直あんまり気を遣ってほしくない私。

(おそらく初めて)夫からのプレゼントは無かったのですが、それがまた、嬉しかったのです。

プレゼントはもちろんあれば嬉しいのですが、

 

今の私の「やりたい」に合わせて映画パーティーを叶えてくれる柔軟なところ、

昼間Sandyの家であった楽しかった出来事をいつものように聞いてくれる優しいところ、

何より私の幸福感をよく理解してくれている夫の寄り添う姿勢に

温かく包まれた幸せな誕生日でした。

 

動物が好きになってきた娘の熱中している眼差しも可愛かったな。

 

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ほかにも、「誕生日おめでとう」と連絡をくれた方と少しやりとりしたり

たまたま連絡してくれた友達と電話したりして

「病み期」にいた私に少しずつ春の風が舞い込んできていました。

 

私の取り柄を私以上に知ってくれている人、

それを素直に伝えてくれる人、

いつも私の幸せに寄り添ってくれる人。

 

前向きに、とわかっていてもなかなか辛さから抜け出せない時があるけれど

何かのきっかけで少し視野を広げると

自分がとても温かな場所にいて、愛されていて、幸せなことに気づきます。

 

Misfortune and good fortune are like a rope that can be tightened.

もう今は私はgood fortuneの中にいます。

 

29歳、周りの人に少しでも恩を返せるように

自分の直感に正直に、元気に過ごしたいな、と思います。

friends

こちらでもありがたいことにお友達ができました。

図書館のイベントに通ってるうちに

少し話して連絡先を交換して

お互いのお家で会うようになって。

 

図書館のイベントも充実していて楽しいのですが

こうやって家に呼び合える友達ができることは

私にとってこの上ない歓びです。

 

日本にいた頃のようには

簡単にはお友達はできないけれど

だからこそ、私の言葉の不自由さや

バックグラウンドの違いを持ってしても

優しくしてくれる出会いは格別。

そしてその縁を引き寄せてくれているのは娘。

子どもがいるからこそ世界を広げることができているのです。

最低限のお世話もしているけど、娘にはもらっているものの方が多いなと感じる今日この頃です。

 

今週はそんなお友達とのplaydateが2件もありました。

 

1件目は、我が家に来てもらって、日本食を振るまった日。

 

メニューを

・鮭とマッシュルームの炊き込みご飯

・コロッケ

・だし巻き卵

・アスパラのおひたし

・パプリカのポタージュ

にしていたのですが、半分以上は前日に仕込みました。

娘を寝かしつけた後、薄暗いキッチンで

卵を焼いて、

コロッケを成形して、

アスパラを茹でて。

その時間の幸せなこと。

ひとり料理に集中する幸せをじっくり味わいました。

ちょうど夫は出張中だったのですが、playdateの準備のおかげで寂しさよりもワクワクと嬉しい疲労感を存分に感じた夜でした。

 

いよいよ当日、ご飯を出した感想は、

・「鮭をごはんと一緒に炊くなんて発想なかった!え、生鮭、炊飯器に入れてもいいの?」と驚かれる

・アスパラのおひたしが地味に人気(本つゆの味)

・「お豆腐の入ったお味噌汁も大好き」と言われる

文化や背景の違う友達に振る舞うからこそ不安だけど

予想外の感想が返ってくるから楽しい。

 

(昔、外国人がお味噌汁を残しているのを見てから、お味噌汁は外国人向けではないと思い込んでいたのですが)

「次はお豆腐のお味噌汁にするね」と約束してお開きになりました。

 

---

2件目は30分かけてお友達の義実家へ。

こちらは逆にご飯を用意していただき

「これがアメリカンスタイルよ」と

サンドイッチ、サラダ、ミネストローネをいただきました。

シンプルですごく美味しい。

サンドイッチにはハムがたっぷり、マヨネーズやマスタードも塗られていて

ミネストローネにはお豆やセロリ、パスタも浮かべて。

 

何より飾らない感じがすごく嬉しくて

「トマトや玉ねぎは自由に足してね」

と言われながら、

気付けば断りもせず勝手に先に食べ始めている私たちがいました(笑)

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ママ友は4月から復職してしまうので

しばらく会えないなーと思っていたら

義理のお母さんが「またすぐおいで。ママがいなくても良ければ、私とこども(孫)はいるよ」と。

帰りの車では娘がすぐに寝て気が抜けたのか、

その温かさがじんわり響いて

幸福感にちょっと泣きそうになりました。

 

働いている親御さんに代わって

孫と図書館に来ているおばあちゃんおじいちゃんはたくさんいるのですが、

友達になろう、と話しかける発想がありませんでした。

 

でも、今日「電話番号教えてよ」とおばあちゃん(ママ友の義理のお母さん)に言われた時

「おばあちゃん」が「お友達」になった感じがしたのです。

国籍や文化だけでなく、年が大きく離れていても、友達にはなれるんだったな、と感じた瞬間でした。

 

アメリカに来る前にも

日本でできたお友達と一旦のお別れをしてきたのですが

どんな相手とでも

今後会える回数はそんなに多くないかもしれないな、と思うのです。

学生の頃と違って、学校のような決まりきった場所で会えるわけではないし、

いろんな変化がそれぞれに起こるから。

 

別れがあるからこそ出会いがあり

自然と離れていく縁も私は必然で美しいと思うのですが

今の自分の幸せをつくってくれているのは、

(物理的な距離ではなく精神的な意味で)そばにいてくれる人たちのおかげなのです。

 

だからこそ、大切な人には

伝えすぎるくらいに感謝の気持ちを伝えること、

相手の素敵なところを伝えること、

なるべく素直でいること。

今日が最後でも後悔しないように。

 

多少の言葉や文化の壁があっても想いは伝えることができます。

 

逆に、近い人にこそ変な甘えを持たないこと。

これは今、当たり前のように娘が毎日そばにいてくれる、子育て中の私への自戒を込めて。

言葉がわかってきている娘にも、なるべく感謝の気持ちと素敵なところを伝えるようにしています。

 

次のplaydateも楽しいものでありますように!

ではまた。

清々しくあれ

夫の繁忙期。

ここ最近は結構つらそうで

少し心配にもなってしまいます。

 

私にできることは

美味しいご飯を作ること

家を居心地の良い状態に保つこと

自分で自分の機嫌を取ること

話したいと思ってくれた時には

話を聞くこと。

 

できることは多くはなく

大した力になれないなあと悔しい気持ちになりますが

それでも夫は、一日の終わりには

「すーちゃん、いつもありがとうね」と言ってくれます。

 

寝る前になると、どんなに疲れていても

「すーちゃんがいてくれてよかった」

「話を聞いてくれて、頑張りを認めてくれてありがとう」

等々伝えてくれるのです。

それがまた健気で、疲れてる時くらいもっと当たり散らしてもいいのに、と思うのですが

仕事のイライラをぶつけられたことはありません。

夫のコミュニケーションの取り方は穏やかできれいで

素直な言葉をくれる夫に私も生かされています。

 

私もまた私で

夫ほど大きくないけれど

いろいろと小さな悩みの種ができたりもします。

お夕飯時にその種を開くと、

仕事終わりでもじっくりじっくり聞いてくれるのです。

だから、芽が大きくなる前に解消できています。

「すーちゃんは正しいと思う」「同じ考えだよ」などなど、寄り添いながら聞いてくれます。

 

そんなふうにして

今月はいろいろと夫婦の絆を深める月になりつつあります。

 

私の全てを受け容れてくれる夫の横で

私も清々しい人でいないといけないな、と感じます。

物事の悪いところより、良いところを。

過去の後悔や未来の不安より、今日を平和に過ごせた歓びを。

清々しい捉え方で、日々を送れる人でいたいのです。

 

その目指す姿は昔から変わっていないのですが

ちょっと最近私は、自分に優しくしてくれる人たちに倚りかかりすぎています。

 

今の私は一生懸命だけど、もっとさわやかになれる気がする。

誰かに倚りかかるより、止まり木になりたいんだった。

最近、心を磨いてるだろうか。

 

そういう時に読みにいく詩。

---

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

---

茨木のり子さん。

 

心がシャキッとする詩。

時々立ち返って、心をメンテナンスさせてもらいます。

失敗はつきものだから、威張らず驕らず肥やしにすればいいんです。

そして、繰り返さない努力をすること。

 

さてさて、少し遠くから自分を見下ろすと

自分が、ものすごく恵まれたところにいることに気付くんですよね。

倚りかかる場所があるなんて、なんて幸せなんでしょう。

 

怠慢に反省した今、自分の足でしっかり立てるようにリハビリをしておくので

次は誰かの止まり木になれたらいいな、と思います。

 

P.S.

初めて作ったコロッケ。

キッチンの広いアメリカ暮らしのうちに、レパートリーを増やす作戦です。

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最近の大好きなもの

刺繍

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キルティング

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こっちの中学生向けの本

Judy Moodyシリーズ

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(字数も少なくて内容も面白くて、4冊目に入りました)

 

夫のお昼のサンドイッチにする落書き

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(これはこの前の金曜日、夫が会社に持って行き忘れてしまったもの)

 

平日の夜の会食があった夫が描いた可愛いイラスト

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(会食で食べた美味しいステーキを少し持って帰ってきてくれたのでした。

ステーキ大好きな夫が、私達のために少しとっておいてくれたという優しさがたまらなく大好き。)

 

思えば少し前、私が育児でいっぱいいっぱいになると、夫はよく

「子どもは見ておくから、あっちの部屋で刺繍でもしたら?」と言ってくれました。

幼児がいるのに針なんて何かあったら危ない!と決めつけていたけれど

 

たまたまこちらで出会った方の御宅でキルティングをする機会があって

チクチク欲がまた再燃し

一番上の写真の巾着が出来たのでした。

出来上がった作品を眺めるのがまたいいんです。

 

子どもと一緒に寝て、夜中目が覚めてしまうと、

眠たくなるまで趣味時間。

ひと針ひと針刺し進めてだんだんお花が出来ていったり

続きが気になって本のページを次々めくってしまう、

あの感じがたまらないんですよね。

今娘は夜11時間くらい寝ていて

大人も一緒に寝るには長すぎる睡眠時間。

だから眠くなるまで趣味にたっぷり浸っても

寝不足にならずに朝を迎えられます。

 

なんて幸せなんでしょうね。

 

たまーに人生がすごくめんどくさくなることがあるんです。

仕事はなく家事育児だけでも

それでも(自分で思い込んでいる)やらなきゃいけないことに途方に暮れそうになったり

春めいてきたと思ったら寒い日で、外に出るのが億劫になったり

昨日まで点いてた電気が切れてしまったり

何やら厄介な手続きや調べ事が必要になったり

失敗した後、マイナスをゼロにするのが大変だったり

そういう、めんどくさいなーと思うようなことが、ちょこちょこ人生には起きると思うんです。

 

それだけにスポットを当てると

なんだか自分が不幸者な気がして疲れたり

事態を深刻に捉えて途方に暮れたくなったりするけれど

完全無欠だけど一緒にいてつまらない人間より

ぼろぼろの見た目でもちょっと変でも、魅力の溢れる笑顔を持った人でいたいというか

遠回りの楽しさを知っている人でいたいんですよね。

 

最近、大好きなものがたくさんあって

ちょっと自分のなりたい自分になれている気がして

それと、私が好きなことをしてる時の夫の目がまた優しくて

幸せだなーと思ったのでした。

 

暗闇の中で

少し前まで、寝かしつけがストレスでした。

まだ1人で寝れない娘は、添い寝が必要。

(※ねんトレと言って、添い寝をしない暮らし方もあります)

寝つくまで、長いと3時間。

 

なんで寝ないんだろう。

夫は自由に過ごせていいなぁ。(ほんとは激務の夫に少しでも家で寛いでほしいのに…)

こんなに早くベッドに連れて来たのに。

昼間あんなに外に連れ出したのに。

なんで。なんで。

イライラ、モヤモヤ。

 

イライラしすぎて、頭が沸々とわいてきて、

娘は寝たのに自分が眠れなくなることも。

たかが寝かしつけ程度で。

でも、毎日続き、休みがないからこそ

習慣の中の小さな悩みは、だんだんと大きく膨らんで、大きな大きなストレスの種となっていました。

 

---

今日の寝かしつけがすんなり終わって、今これを書いています。

最近は、なぜか寝かしつけを全くストレスに感じません。

娘が寝るのが上手になったのかな。

 

今日は寝かしつけの間、暗闇の中で、

娘のことを観察していました。

眠たそうだけど開いている瞼、

こちらを見ている真っ黒な瞳、

長くて可愛い睫毛、

ギザギザの前髪、

ふふふと笑った声、

ポカポカのおてて、

だんだんゆっくりになっていく胸の動き。

ついつい大好きとありがとうを言ってしまう。

私の肌を触る指、

閉じられた瞼、

規則的になってきた呼吸音。

私も、私の呼吸に意識が向いてくる。

 

今日という1日を、事故なく怪我なく終えられたこと。

娘が寝付くその瞬間まで、隣に居られること。

少しずつ少しずつ、娘の背が伸び体重も増え、できなかったことができるようになっていくこと。

気がつけばとんでもない奇跡の中に私たちはいて

真っ暗な寝室は独り占めしたくなる空間で

娘が寝ついてからしばらく、観察を続けてしまったのでした。

---

そうか、過去の私は、

寝室の外の世界、

寝かしつけの少し後の未来に期待を膨らませていたのか。

 

夫は外で自由に過ごせていいなぁ、と夫と比較したり、

寝かしつけの後、ひとり時間にあれをしたいこれをしたいと欲張ったり。

 

娘のいる「今」「この場所」がこんなに尊いものであることに、気づかずイライラしていたなんて。

もったいなかったな、と思う反面、

休みなく続けなければならない日常に

嫌気がさすのは当然のこと、とも思う。

 

また寝かしつけがしんどく感じる時期が来るだろう。

他の悩みが出てくるかもしれない。

たまにはイライラやモヤモヤにどっぷり浸かって

そして飽きたら、その自分を俯瞰して見て、滑稽さに笑うのが良い。

少しずつ少しずつ、おおらかな人になっていけたらいい。

娘へ、今日も楽しい1日をありがとう。

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ちょっとしたお知らせ

SNSを離れてみることにしました。

という内容ですが、SNSをされている方を非難する気持ちは全くありません。不快な表現があったらごめんなさい。

 

あと、このブログとLINEは残ります。

(TwitterinstagramFacebookから離れます)

このブログのことは元からオープンな場ではあるのですが

見ている人があんまり多くない前提で、

のびのび書かせてもらっているので

ごく一部の人にだけinstagramのストーリーでURLを載せることにしました。

以後各種SNSから居なくなるとリンクを貼る場所がないので、物好きな方はどこかにリンクをメモしていただければw

ひとまずのご連絡は以上です。

 

ーーー

以下は普段のブログみたいに自由につらつらだらだら書くパートです。

ーーー

 

SNSを離れる」といっても何かトラブルがあったとか

そういうわけではなくて

 

SNSを見る時間を、子育てに充てたいと思った、ただそれだけです。

(重ねてですが、SNS楽しみながら子育てしてる方を非難するつもりはありません)

 

1歳9ヶ月になった娘。

自分にとって嬉しいこと・嫌なことを表現できるようになってきて

いつのまにか眉間に皺を寄せることも覚え(笑)

表情豊かでかわいい時期です。

 

「この本読んで」「一緒に遊んで」「抱っこして」

まだ言葉は話せないけど、そうやって要求を伝えてくれることもたくさんあります。

そんな日常のふとした瞬間に、私は子どもではなくSNSに目を向けてることも多いな、と感じています。

娘が私に向けてくれているみたいに、私は娘の目を見れているのか、ちょっと怪しいのです。

子育ては気張ってやるもんではないと思っているので「ながら」でOK派なのですが

この娘の「ねえねえ」の瞬間に好きな本を読んでいるのとSNSを見ているのとでは、「ママ今自分に必要な時間を取らせてもらってるの、待っててくれてありがとう」と言いたいと感じるかどうかで心持ちが全然違ってくるのです。

 

SNSが自分にとってめちゃくちゃ幸せで、気分転換になるなら何よりなのですが、私にとってはそういうわけではなく…

1人の時間は、読書やヨガや刺繍をするのが好き、

人との時間は、リアルで会うのが大好き、な私にとって

SNSの時間はあんまり必要なさそうだなと感じています。

 

とはいえ急にいなくなるのもな、と思って

伝えたい人にだけ伝える感じにしてみました。

自己満足です。

このブログが読めない日本語非ネイティブの友達に伝えたり

諸々自己満足の連絡が済んだら、アカウント自体閉じる予定です。

 

SNSが好きな方に対する非難の気持ちがあるわけではなく(むしろ、夫みたいに、私よりSNSとの付き合いが上手い人はたくさんいると思っています)

また、人との繋がりを疎かにしたいわけでもありません。

 

それから、「このブログいっぱい読んでね!」という気持ちも全くありません。リアクションが欲しいわけでもありません。(ブログ好きと直接言ってくれる方も居てそれもそれで嬉しいです^ ^)

私は思考整理としてアウトプットする場が必要なようで、

毎日紙に書いている日記と、たまに書くこのブログが

その役割を担っているので、

今まで通り見てる人がいるんだかいないんだかよくわからないこの環境で、つらつら書けたら嬉しいです。

そんなに更新頻度も高くないですw

 

LINEも残りますし、私本人も残ります!

連絡気軽にしてくださいね。社交辞令ではなく。

アメリカでも今のところ楽しく過ごしています。

ではでは〜