少し前まで、寝かしつけがストレスでした。
まだ1人で寝れない娘は、添い寝が必要。
(※ねんトレと言って、添い寝をしない暮らし方もあります)
寝つくまで、長いと3時間。
なんで寝ないんだろう。
夫は自由に過ごせていいなぁ。(ほんとは激務の夫に少しでも家で寛いでほしいのに…)
こんなに早くベッドに連れて来たのに。
昼間あんなに外に連れ出したのに。
なんで。なんで。
イライラ、モヤモヤ。
イライラしすぎて、頭が沸々とわいてきて、
娘は寝たのに自分が眠れなくなることも。
たかが寝かしつけ程度で。
でも、毎日続き、休みがないからこそ
習慣の中の小さな悩みは、だんだんと大きく膨らんで、大きな大きなストレスの種となっていました。
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今日の寝かしつけがすんなり終わって、今これを書いています。
最近は、なぜか寝かしつけを全くストレスに感じません。
娘が寝るのが上手になったのかな。
今日は寝かしつけの間、暗闇の中で、
娘のことを観察していました。
眠たそうだけど開いている瞼、
こちらを見ている真っ黒な瞳、
長くて可愛い睫毛、
ギザギザの前髪、
ふふふと笑った声、
ポカポカのおてて、
だんだんゆっくりになっていく胸の動き。
ついつい大好きとありがとうを言ってしまう。
私の肌を触る指、
閉じられた瞼、
規則的になってきた呼吸音。
私も、私の呼吸に意識が向いてくる。
今日という1日を、事故なく怪我なく終えられたこと。
娘が寝付くその瞬間まで、隣に居られること。
少しずつ少しずつ、娘の背が伸び体重も増え、できなかったことができるようになっていくこと。
気がつけばとんでもない奇跡の中に私たちはいて
真っ暗な寝室は独り占めしたくなる空間で
娘が寝ついてからしばらく、観察を続けてしまったのでした。
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そうか、過去の私は、
寝室の外の世界、
寝かしつけの少し後の未来に期待を膨らませていたのか。
夫は外で自由に過ごせていいなぁ、と夫と比較したり、
寝かしつけの後、ひとり時間にあれをしたいこれをしたいと欲張ったり。
娘のいる「今」「この場所」がこんなに尊いものであることに、気づかずイライラしていたなんて。
もったいなかったな、と思う反面、
休みなく続けなければならない日常に
嫌気がさすのは当然のこと、とも思う。
また寝かしつけがしんどく感じる時期が来るだろう。
他の悩みが出てくるかもしれない。
たまにはイライラやモヤモヤにどっぷり浸かって
そして飽きたら、その自分を俯瞰して見て、滑稽さに笑うのが良い。
少しずつ少しずつ、おおらかな人になっていけたらいい。
娘へ、今日も楽しい1日をありがとう。