娘、生後11か月となりました。
4月の頭に入園式があり、さっそく1週間ちょっと登園しています。
初めは1時間から、徐々に時間を延ばし、給食やお昼寝なども少しずつ慣らし、進めています。
子どもが生まれるまでは、保育園に「慣らし期間」があることもよく分からず、
子どもが生まれた後も、2週間もかけて慣らしていくのか!と驚きましたが、
いざ登園させてみると、子どもは大泣き。帰るとかなり疲れている様子。
保育園の慣らし期間を軽く考えていた私は、
いかに子どもの視点で見れていなかったか、ようやく痛感しました。
どこにいても何をしていても、ずっとママかパパがそばにいた娘。
ママもパパもいない場所で過ごす時間は、たとえたったの1時間でも、とても寂しくて不安で、怖い気持ちでいっぱいだと思います。
慣れればきっとすぐ、お友達と、家ではできないいろんな経験を積み重ねていくのだと思いますが、慣れるまでの間は、娘の気持ちにぴったりと寄り添わないといけません。
きっとこれからも、今回の私の復職のように、家族の日常の変化に伴って娘の環境も変わります。
その時に、大人の視点だけで思考をどんどん進めないで、
子どもや他の家族の視点に立ってじっくり環境を観察して、みんなで新たな場所に彩り豊かな足跡を増やしていく、そういう家族でいたいです。
親と目が合うと嬉しそうによく笑い、不安や不満は必死に泣いて訴える娘は、もう一人前の人間です。
私の想像以上に、よく状況を分かっているし、精神的にも成長しています。
もう、親だけで頭でっかちに考える時期は、とっくに過ぎています。
一方で、娘は居場所を自分で決められません。
住む場所、通う保育園、今日着るもの食べるもの出かける場所。
今日を好きに生きられる私に比べると、親に左右される毎日はとても不便なものだと思います。
しばらくは、娘の環境は親が決めます。
保育園にいつから通わせるのか、
習い事はするのか、
小学校は公立か、中学受験はするのか、
子どもの意思を聞きつつも、たいてい、親が決めます。
これは親になった私にとって、とても難しいことだなと感じています。
子どもに不自由な思いはさせたくない。
が、習い事や塾、受験のサポートをとにかく手厚く丁寧にすることが、果たして子どものためなのか。
既に、慣らし保育で大泣きの娘を見て「今このタイミングで保育園に入れる」という選択をしたことは正しかったのか?と一瞬悩んだ私は、
今後いろんなことで、もっとたくさん悩むと思います。
私自身は、ほぼ毎日習い事があった小学生でした。
(共働きの両親の仕事との兼ね合いがあったので、両親は教育熱にうなされていた、という訳ではないと私は感じています)
スキルが身について、お友達ができて、良かったと思う反面、
「何しようかな、暇だな」とくだらない一人遊びをしたり、友達とだらだら喋ってみたり、そういう暇な時間も子どもには(というか人間には)不可欠だとも思うのです。
そういった観点で考えれば、学校や習い事をこなすのにいっぱいいっぱいなスケジュールだと、「遊び」が無くなってしまいます。
暇な時間は人を面白くします。
子どもの将来を想うのは親の愛でありながら、
将来のことばかりを心配して、今ここに生きている子に鈍感になってしまうのは、失礼だとも思います。
保育園に入園し、はじめて家族の外の社会に触れたばかりの娘を観察しながら、お節介にもそんなことを考えている春です。
私の復帰まで、あと少し。娘の慣らしも折り返し地点まで来ています。
最近の改めての気づきは、夫は本当に素晴らしい父で、素晴らしい夫で、素晴らしい人であるということ。
娘も私も変化の時にいますが、夫がいるのできっとどうにかなる、そう確信させてくれる、夫に感謝です。