生後5か月を迎えた娘、離乳食が始まりました。
固さは、量は、温度は、どれくらいがいいのかな。
子よりは親側がまだ不慣れな、離乳食初期です。
お出かけの頻度についても正解を求めてしまいます。
娘と毎日一度は外出するようにしていますが、
スーパーに行くだけで済ませる日があってもいいものか、
子育て施設で他の赤ちゃんに接したほうが良いのではないか、
でも、ごくまれに、午前・午後どちらも子育てイベントに出てしまう日もあり、
そんな日には無理をさせていないかと心配になったり。
家の中では刺激は足りているのかな、外だとウイルスが多すぎるかな。などなど。
暑くないかな、寒くないかな、
うるさくないかな、静かすぎないかな、
楽しんでくれているかな、疲れていないかな。
そうしてあれこれ「大丈夫かな?」と正解を求めて心配もしてしまいますが、
一方で、「たぶんこれで大丈夫」とも思っています。
子育てにおいて迷った時、最近の指標は「自然であれ」という言葉です。
世界中で産声が上がり、それぞれの環境でヒトは大人になっていきます。
今、私たちが暮らす場所は、公衆衛生も整っていて、子どもの健診や地域のサポートなども充実しています。
離乳食を始めて思うのは、与えたい食材が、なんでもスーパーで手に入る時代に子どもを産めて、私はとても恵まれているな、ということです。
ロンパースも、おむつも、ごはんも、なんでも。
リーズナブルなもの、質の良いもの、かわいいもの、安全なもの、ジェンダーフリーなもの。
親が自分の価値観に合わせて選べる時代です。
冒頭に書いた、ちょっとした気がかりなことは、常にあります。
が、飢餓状態にあるわけでもない、戦禍にあるわけでもない、
頼れる病院があり、困らない程度のお金がある。
それだけで、子どもの生存率は、ぐっと上がっていると思います。
泣いていたら抱っこしてあげる、
でも、抱っこを躊躇したくなるくらい自分が疲れていたら、
抱っこせず、そのまま泣かせてしまう。
寒そうなら服を着せてあげる、
親である自分が楽しい分だけ、お出かけをする、
パクパク食べれば少し多く離乳食を与え、嫌がれば今日はそこでおしまい。
あかちゃんファーストではなく自分の心身の健康も大切にした上で、
「自然な子育て」ができれば、それで満点なのだと思います。
なんでも選べる時代にあるからこそ、
あかちゃんの頃から通える習い事も、バイリンガル幼稚園も、研究に研究を重ねて作られた知育玩具もあります。
それらを選ぶ親を否定する気持ちは全く無く、私も今後、必要に応じて選び取っていくかもしれませんが、
グローバルな時代であっても、受験戦争が盛んな地域にあっても、
「自然であれ」のスタンスでも良いのではないかなと思います。
子育て以外に関しても同じことを思っています。
自然に暮らしていれば、結婚に至らない恋愛も山ほどあります。
キャリアを積む上で、進路を途中で変えたり、目標を叶えられなかったりすることもあります。
人為的なミスで仕事で失敗したり、うっかり予定を忘れていたり。
頑張れない日、忘れ物をしてしまう日、人に優しくなれない日などもあります。
それこそが「自然であること」なのだと思います。
振り返れば、受験勉強をしていた時や、仕事の繁忙期など、
トゲトゲしていた時期もたくさんあります。
暮らし方の何処かが自然ではなかった時期です。
不自然な暮らしは、必ずどこかに歪みが出るものだと思います。
不自然な暮らしを強いられている時期には、トゲトゲな自分を責めないこと。
迷った時には自然な方を選ぶこと。
「自然であれ」。日により寝る時間もおしゃべりの頻度も一定ではないあかちゃんが、私に教えてくれた暮らしのヒントです。