清々しくあれ

夫の繁忙期。

ここ最近は結構つらそうで

少し心配にもなってしまいます。

 

私にできることは

美味しいご飯を作ること

家を居心地の良い状態に保つこと

自分で自分の機嫌を取ること

話したいと思ってくれた時には

話を聞くこと。

 

できることは多くはなく

大した力になれないなあと悔しい気持ちになりますが

それでも夫は、一日の終わりには

「すーちゃん、いつもありがとうね」と言ってくれます。

 

寝る前になると、どんなに疲れていても

「すーちゃんがいてくれてよかった」

「話を聞いてくれて、頑張りを認めてくれてありがとう」

等々伝えてくれるのです。

それがまた健気で、疲れてる時くらいもっと当たり散らしてもいいのに、と思うのですが

仕事のイライラをぶつけられたことはありません。

夫のコミュニケーションの取り方は穏やかできれいで

素直な言葉をくれる夫に私も生かされています。

 

私もまた私で

夫ほど大きくないけれど

いろいろと小さな悩みの種ができたりもします。

お夕飯時にその種を開くと、

仕事終わりでもじっくりじっくり聞いてくれるのです。

だから、芽が大きくなる前に解消できています。

「すーちゃんは正しいと思う」「同じ考えだよ」などなど、寄り添いながら聞いてくれます。

 

そんなふうにして

今月はいろいろと夫婦の絆を深める月になりつつあります。

 

私の全てを受け容れてくれる夫の横で

私も清々しい人でいないといけないな、と感じます。

物事の悪いところより、良いところを。

過去の後悔や未来の不安より、今日を平和に過ごせた歓びを。

清々しい捉え方で、日々を送れる人でいたいのです。

 

その目指す姿は昔から変わっていないのですが

ちょっと最近私は、自分に優しくしてくれる人たちに倚りかかりすぎています。

 

今の私は一生懸命だけど、もっとさわやかになれる気がする。

誰かに倚りかかるより、止まり木になりたいんだった。

最近、心を磨いてるだろうか。

 

そういう時に読みにいく詩。

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自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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茨木のり子さん。

 

心がシャキッとする詩。

時々立ち返って、心をメンテナンスさせてもらいます。

失敗はつきものだから、威張らず驕らず肥やしにすればいいんです。

そして、繰り返さない努力をすること。

 

さてさて、少し遠くから自分を見下ろすと

自分が、ものすごく恵まれたところにいることに気付くんですよね。

倚りかかる場所があるなんて、なんて幸せなんでしょう。

 

怠慢に反省した今、自分の足でしっかり立てるようにリハビリをしておくので

次は誰かの止まり木になれたらいいな、と思います。

 

P.S.

初めて作ったコロッケ。

キッチンの広いアメリカ暮らしのうちに、レパートリーを増やす作戦です。

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