立ち、歩き、手先も少し器用になった娘。
「パチパチ」や「ハイタッチ」などをよくするようになりました。
出来ることが増えていく過程でよくするのが、自分へのパチパチ。
たっちが出来た時、積み木を上手に置けた時、歯磨きの間に口を開けられた時。
自分で自分にパチパチします。
大人はつい、いろんなものが邪魔をして、承認欲求というものを抑えながら生きてしまいますが
子どものそういう遠慮のなさは、生きる歓びに満ちていて、清々しいものです。
上手にできた時、自分で自分に拍手をする。
鏡に自分の顔が映ると、嬉しそうに声を上げる。
自分の動画を見るのも大好き。
心細い時にはママやパパに「だっこ」と甘える。
生まれてすぐは人間ではない別の生き物みたいだった娘は、
時に大人よりも人間らしい仕草を見せてくれます。
その娘を見ていると、2つ、実感することがあります。
1つ目は、愛情は、注げば注ぐだけ、良いということ。
娘の「パチパチ」は、私たち両親が娘に拍手するところを真似ている仕草でもあります。
「すごいね」「上手だね」の声掛けにも得意げな表情を見せてくれます。
見ていてもらえる・認めてもらえるということは、子どもにとって何よりうれしいもの。
娘のそのままを肯定し、愛情を素直に表現できる親でいたいと感じます。
まだ喋れないけど、言葉の意味はずいぶん分かっているようです。
たくさんのハグと言葉で「ありのままのあなたが好き」と伝え続けたいものです。
2つ目は、自分で自分を褒められる人というのは、こんなにも清々しく映るものなのだな、ということ。
小学校の高学年の頃、プロフィール帳というのが流行っていて、裏表の紙に、自分の名前や好きな食べ物、100万円の使い道など、いろんなことを記入して交換こしていました。
たくさんある質問の中にはYes/Noクエスチョンもあって、
一度だけ、「自分が好き?」という項目で、Noに丸をつけたことを覚えています。
当時、「ナルシ」という言葉も流行っていて、「この質問でYesに丸をしたら変かな?」と思ったためでした。
でも、Noに丸をしてからしばらく、なんとも言えないモヤモヤがあったのです。
そのモヤモヤが嫌で、それ以降は、「ナルシと思われてもいいや」とYesに丸をするようになりました。
今思えばなぜあの質問があったのか、よくわかりませんが、
今あの頃に戻れれば「Yes」に書き換えると思います。
ちょっと話が脱線しましたが、大人になると、自分を肯定する力が十分に備わっているというだけで、ずいぶん自由に、のびのびと自分らしく生きられるものです。
思い返せば私はこれまで自分を嫌いになったことはなく、
当時抱えたモヤモヤは、自分に嘘をついたから感じたものでした。
娘の今ある自己肯定感と生きる歓びを、ちゃんと守りふくらましていける親でいたいです。
娘のパチパチ。
なんでもない1歳児がよくやる仕草の一つですが、
清々しい仕草を毎日傍で見られて幸せです。
今実は環境の変わり目にあり、少しバタバタしていますが、
バタバタの中でも今日も一日楽しく健康に過ごせている家族全員に、拍手を送りたいと思います。