結婚3周年

先日、結婚記念日を迎え

ちょうどまる3年、結婚してから経ちました。

 

付き合い始めてからはまる4年、

夫と一緒にいることになります。

 

付き合っている間は

トントン結婚に向かって話が進み

 

結婚後は

結婚式、妊娠、出産、育休、海外暮らし…

合間に各々の異動や家族旅行があったりして

自分の人生の中でも変化だらけの3年でした。

 

夫婦でも「生き急いでるよね」とよく言っていて

ノンストップでここまで来てしまった気がします。

でも、止まれなかったんです。

 

夫と結婚していなければ

娘はこの世にいないわけで

私はアメリカに住んでいないわけで

そう思うと、「家族」が私の人生に与える影響は、はかり知れません。

 

日本にいた頃は保育園に通っていた娘。

その程よい距離感が好きで

昼間は仕事、夕方からは家族時間と

メリハリがついていたのですが

 

アメリカでの生活が落ち着いてきた今

働かず保育園にも通わせず

娘のちょっとした成長を傍で見られることは

それはそれで嬉しくて嬉しくて

毎日24時間娘と居られることがとても幸せです。

 

このまま健康に育ってくれれば

娘は20歳くらいまでは一緒に暮らしてくれると思いますが

その中で24時間一緒に過ごせる日は

とてもとても少ないと思います。

学校もなくて、休日にお友達と会う約束もなくて

お買い物もご飯を食べる時も寝る時も、いつも一緒に居てくれる。

幼児なので当たり前ですが、

でも、親にとっては育児の醍醐味が詰まった、かけがえのない時期なのです。

 

育児疲れを感じる日ももちろんありますが

それは自分の余裕がないせいで

総じて、娘には感謝しかありません。

 

夫に対しては、また少し違った感情です。

大人同士だからこそ

いろんな違いを如実に感じます。

でもそれは「価値観が合わない」とは違くて

あぁ、この人にとって、これが大事なんだ。

これは全然気にならないんだ。

知らなかったな。

と思うことが、今でもたくさんあります。

 

娘が家族の一員になってからは

2人だけの時より心に余裕がない日も増えて

毎日のように、というわけではないけど

感情をぶつけ合う日も、ちょこちょこありました。

ぶつかるのは、生活の変わり目が多かったと思います。

ぶつからないように、不満を内に留めておこうとしても

態度に出ちゃったり、別のタイミングで後出しでブツブツ言ったり。

ご機嫌で居れる日が多いと思うけど

たぶんご機嫌じゃない日もたくさんありました。

 

自分の人には見せたくない一面を

見せざるを得ない人、嫌なところも受け止めてもらうしかない人。

親とも兄弟とも違う、

子育ても海外駐在も一緒に挑んでいく運命共同体のような人。

 

夫は私がたまに夜寝れなくなってしまうことも

私のトラウマもコンプレックスもこだわりも

よく知っています。

付き合う前は大して知らなかったはずなのに

いつの間に、と思います。

でも私も、夫の家でしか見せない側面に

いつしか慣れたな、と思います。

とはいえまだ3年、お互い知らないことばかりなのだろうけど。

 

コミュニケーションやスキンシップが大事、というのは当たり前の話で

だけど、わかっていても、大事にできない時期が今後来るかもしれません。

 

結婚3周年、

夫と娘と暮らして感じることは

3人とも、人間なのだということ。

 

どうしても機嫌良く過ごせない日、

理想通りにいかない時期、

きっと今後数えきれないほどあるでしょう。

人間だから。

そういう時は無理しなくて大丈夫。

 

機嫌よく過ごせる日、気持ちのいい日に

たくさん愛を伝え、家族を抱きしめられる

あの時はごめんねと言える、

そんな家族の一員で居たいです。

 

運命共同体、家族という存在。

死ぬ時必ず浮かぶであろう2人の顔。

できたらニッコリ笑顔をたくさん見たいから

4年目も、自分が何より輝ける毎日にしたいです。

私が楽しく暮らすことが、家族にとって一番。

笑顔の可愛い人で居なきゃね。

 

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寒いけどあたたかい

寒さが本格化してきました。

たとえば、これを書いている夜中の今は、気温-24℃。

金曜日に雪が降り、金土とほとんど家から出なかったのですが、

日曜日の昨日、卵を切らして、お買い物に行きました。

 

その前に外に出た木曜日までは、最低気温も-5℃程度。

寒いけど、普通に暮らせる寒さです。

 

土曜日から一気に極寒の世界となりました。

暖かな室内にいる私たちにとって、-20℃以下は初めての世界。

風もあって、スマホのお天気の情報には、体感温度は-32℃と書いてありました。

 

車のスリップも、寒さも、怖い。

けれど、この寒さは1週間続きそうなので、意を決して娘と2人で買い物に行きました。

(日曜日でしたが、夫は会社の用事で不在でした)

 

近くの大型スーパーは、意外と車がたくさん駐まっていました。

娘のことを考えると、少しでも入り口に近いところに駐車したかったのですが、

やむなく少し歩くことになってしまいました。

 

ほんの数分歩くだけでも、露出した肌が痛いくらい。

娘をなるべく密着させたら泣かせてしまい、そんなに息を吸い込んで、娘の肺は大丈夫かなと心配になりました。

 

スーパーの中に入ると、野菜や乳製品など品薄でした。何を売っていたのかわからない空っぽの棚がたくさん。

いつもより寂しい食卓を想像して、少し怖い気持ちになりました。

そこで家でなるべく豊かな気持ちで暮らせるように、予定より多めに買い込みました。

でも、遠い車まで運べるように、車への積み下ろしがすぐ済むように、卵2パック含めて両手で持てるくらい。

大きな買い物もしたかったけれど、娘を抱っこしている私にはできませんでした。

 

寒いって怖い。寒いって危険。

また車まで娘を泣かせたら心配だな。

滑らないように気をつけないと。

いろいろ考えながら意を決してスーパーの外へ出ると、たまたま居た男の人が「Can I help you? 買い物袋、車まで運ぶよ!」と声をかけてくれました(*_*)

 

「でも車遠くて…」と話しても

「My pleasure! 僕も小さい子がいるから大変さがよくわかるよ。手伝わせて」とスタスタ一緒に歩いてくれました。

この前の秋に日本からこちらへ来て、初めての冬であることを打ち明けながら。

気づいたら、行きは「遠いな」と感じていた車のところまでもう着いていて、娘も泣かずにニコニコしていました。

 

初めての極寒の世界、

まだ細かな指示のわからない小さな娘、

数分とはいえ初めて運転する雪道に、

意外と埋まっている駐車場、

娘の泣き声、

そして、意外と空っぽの店内。

厳しい環境でなんとか娘を守らないとと思っていた私には、

芯まで沁みる思いやりでした。

 

お礼を言ってエンジンをかけると、娘はケラケラご機嫌に笑っています。

初めて経験する寒さに雪道に、

私は怯えていたけれど

生まれて2年弱、普段から初めてのことだらけの娘は

なんてことなさそうで、全然深刻そうでもなくて

弱かったのは娘ではなくて私かもしれないと思いました。

 

男性から元気をもらって

予定通り、もう1軒、一番よく行くスーパーにも行くことに。

(それまでは、あまりの厳しさに1軒だけで帰ろうと思っていました)

そちらではお店の近くに駐められて、お店の中もいつも通りモノがたくさんあって、普段通りのお買い物ができました。

 

その男性が居なかったら。

娘は車までの帰り道できっとまた泣いたでしょうし

2軒目のスーパーには行けず、

そちらでは在庫が充分あることも知らず、

「明日からの買い物どうしよう」「外に出るの怖い」と思っていたと思います。

 

その男性が居たから、

帰り道は真っ白な視界に、凍った木々に、

うっとり感動しながら帰る余裕が生まれたのでした。

 

名前を知らない男性へ、

昨日、娘に優しい声掛けができて

「卵買えたよ」と夫を安心させられて

幸せに1日を終えられたのは、

みんなあなたのおかげです。

こちらでは当たり前の優しさ、だけど、

日本で子育てをしたことのある人なら痛感するであろう、

決して当たり前ではない優しさ。

極寒の中、手を差し伸べてくださって、本当にありがとうございました。

 

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好きだった人の話

クリスマス、大晦日、新年。

寒空の下でイベントごとが迫っては駆けていくこの時期は、幼い頃から思い出がたくさんあります。

サンタさんがきてくれて嬉しかったこと、

お正月のすっきりとした青空、

少し大きくなって、おせちが作れてホッとしたこと。

 

でも高校を卒業したぐらいからは、私にとって恋人との思い出も多くあります。

夫の前に付き合っていた人と、付き合い始めた時期でもあり、お別れした時期でもあり、

夫と、デートするようになった時期でもあり、入籍した時期でもあり。

前にお付き合いしていた人と、付き合い始めた年からはもう9年(!?)

お別れした年からはもう4年経ちます。

それでも、この季節になると、その彼とのお付き合いや別れのことを毎年思い出します。

 

5年間付き合っていたその人とは、

もうすぐパートナーとして過ごして4年経つ夫より

期間としては長く一緒にいたことになります。

 

付き合った年は、思わず心がくすぐったくなるような初々しさがあり、

それ以降の年は、「記念日」をまた一緒に過ごせた歓びがあり、

後半になると、異国の地で遠距離をしていて、会いに行ったり電話したりした思い出があり、

最後の年は、「素敵な記念日」にならなくてたくさん泣いて怒って、彼を応援できない自分が大嫌いになり。

 

当然、今、未練は全く無いのですが、

現在28歳の私にとって、彼と付き合っていた5年間は短くはなくて

いろんな年のこの時期を思い出しては、

あの時の私は未熟だったなぁとか、

その彼のことがすごく好きだったんだなぁとか、

成長させてもらえたから今の私がいるんだなぁとか、

毎年なんだかんだで10秒くらい、思いを馳せてはまた日常に戻る、そういう瞬間が何回か訪れます。

 

「どうせ結婚した後は自由に恋愛できないから、自由なうちにいろんな人と付き合った方がいいよ」と言われたことがあるし、

「(その彼より)もっと素敵な人がいるよ」とお付き合いしている時期に言われたこともあるし、

「別れて正解だったよ」と別れた後に言ってくれた人もいます。

 

私のためを思っての言葉たちだったのですが、

今振り返っても、5年「も」付き合って無駄だったなとか、あのとき別のあの人と付き合ってみればよかったなとか、後悔する気持ちは全く起きません。

 

中高生のもっと幼かった頃にした恋愛は、周りに流されていたり相手の気持ちに負けたりして始まった感じで、気持ちが乗らずにちょっとして勝手にお別れしちゃったり、そんなものばかりでした。

 

その彼は、

そういう意味では、初めて「大好き」になって、

だからこそ2人だけの合言葉が出来る度に嬉しくなって、

反面、合わないところで悩んで、考えをぶつけて、たくさん話して、

真面目にとことん恋愛をした人。

彼はたぶんどちらかというと恋愛下手で(失礼)

私にとって恋敵もいなく、

彼の魅力を心の底から理解してくれた友人はあんまり居なかったけど

でも、とっても深く好きになった人です。

 

その彼とは共通の知り合いもいて、

ありがたいことにみんな今でも仲良くしてくれるので

その繋がりで、

夫と付き合い始めてからも、

結婚してからも、娘が生まれてからも、

みんなで集まる機会にちょこちょこ彼にも会います。

 

(いまだに会うことを批判したくなるかもしれませんが一旦置かせていただいて)

今でも彼は、私を応援してくれていると会う度に感じます。

私の仕事や子育て、趣味、夢中なことなんでも、応援してくれている気がします。

そして、少なくとも私は、彼がなるべく楽しく充実した毎日を送ってくれたら嬉しいな、と思っています。

すごーくたまーに近況を聞いて、仕事頑張ってるんだなとか、面白い趣味始めたんだなとか、

知って嬉しくなります。

家族の次の次くらいに応援してる人です。

 

付き合っていた時、

私の可能性を私以上に無条件に信じてくれるところやそれを素直に伝えてくれるところが好きだったし

今もなお、(異性かどうかを問わず)私にとってとても貴重な、自信を持たせてくれる存在です。

 

私たちがお別れしたのは、よくある別れの定番、「価値観の不一致」だと思います。

自分の軸を大事にしようと思うと、違う軸を持つ彼と一緒に居られない。

そんな感じでした。

 

お互いの軸はそれぞれ、付き合うずっと前からブレていなかったけど

月日が経つと、だんだん卒業が近づいてきて、大学の中だけで暮らしていたのが、その先の道に少しずつ進み始めて。

あれ、彼と一緒の道じゃない。

そんな感じで、どんどんその軸の違いから目を背けられなくなってきました。

 

好きだからこそ一緒にいたいけど、

一緒にいようとすると、自分で居られなくなって苦しい。

そういう葛藤は、自分の頑固さ、曲げられない大事なこと、自分の中の「普通」をよく知る機会にもなりました。

 

彼の大事なこと、目指したいものに対して、共感できない。

今会っても、彼が夢中になっていることに対して、共感は全くできません(笑)

だからこそ、たまーに会う機会があって、

彼が充実している姿を見ると、嬉しくなります。

最後の年の年末年始、たくさん傷つけ悩ませてしまったあの時より、とても生き生きのびのびしているなと思ったりもして。

たまーに知るだけの関係性なので、実は今も苦しみや悩みが彼なりにあるのだとは思いますが。

 

今年もまたクリスマスツリーやイルミネーションや年の瀬感につられていろいろと思い出すけれど

また来年以降もちょこっと思いを馳せることがきっとあります。

この時期はいろんな思い出があるからこそ、今の自分は幸せかな、自分を大事にできてるかな、と振り返るには一番です。

 

4年経ち、今、夫がそばにいて、疲れていても私の声に耳を傾けてくれること、

娘が私に「抱っこ」と甘えてきてくれること、

そういうありがたい幸せに感謝しつつ

 

ずっと前に好きだった彼にも、ありがとう、と密かに思っています。

また来年のこの時期、幸せな自分でいられるように

次の一年も大事に1日1日重ねていきたいな。

 

元彼の話なんて、書いたら誰かに怒られそうな立場になりましたが

この過去の恋愛への想いもまた、ちょっと変わってるだろうけど、頑固な自分の軸の一つ。

今日は引っ張り出してきたけれど、

また明日から、あまり目立たないところに大切にしまっておきます。

 

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子どもも体力がついてきて、1人じっくりのんびり過ごす時間が恋しいここ最近。

旅行先で目が冴えてしまった夜に、1人つらつら書く幸せを久しぶりに味わえました〜

 

ではでは、よいお年をお迎えください。

 

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少数派

車を入手してから数日経ち、

昼間はあちこち出掛けています。

 

先日、隣町の図書館へ行きました。

子どものための読み聞かせの会に参加するために。

 

図書館というと、何を思い浮かべますか?

私は、やはり、本。これに尽きます。

 

しかしこちらの図書館には、子ども向けのおもちゃや、大人も没頭できるジグソーパズル、ゲームなどもあるようです。

 

もちろん本の言語も日本語と英語で違うのですが

たくさんおもちゃのあるプレイルームで、子どもたちは、土足の場所に座ってそれぞれ夢中になって遊んでいます。

地べたに座るのに、靴を脱ぐ場所、ないんだな。(その日は外は雨でした)

不衛生だとか言いたいわけではなく、

その場にいる人の中でたぶん私だけが、そう思いました。

 

定刻になり読み聞かせが始まると

もちろん絵本や手遊びはみんな英語。

イベントの最後に登場した地球の塗り絵は

アメリカが真ん中にあって、日本は真裏で見えません。

この向きからの地球、なんか新鮮だな。

日本が無いことがショックだったわけではなく、

その場にいる人の中でたぶん私だけが、そう思いました。

 

外国人の多くないエリアで、

日本人は社内の出向者だけ、

アジア人も今のところ見かけません。

 

見かける方はみんな鼻が高くて、英語の発音がとても綺麗で、すごく大きい人がいる。

私はたぶん、道ゆく人たちとは違うメガネで、今ある景色を見ています。

もちろん「道ゆく人たち」にもいろんな方がいて、それぞれメガネの色も厚みも縁の形もさまざまなのですが

やはり私は、「みんなと違う」。

 

髪が黒くて、英語が上手に話せなくて、この地に来て歴が浅い。

マイノリティなのです。

それと、娘も。

 

日本で娘を保育園に通わせていた頃、

お友達の髪は黒くて、

親御さんも先生も日本語のネイティブで、

絵本や手遊びは日本語で、

給食にはお米やお味噌汁がよく出ていたから気が付かなかったけれど

私は日本で、ずっと多数派でした。

 

そして娘は、遠い地アメリカに来て

おそらくほとんどカルチャーショックを受けていません。

「靴脱がないんだ」とか、「地球の真ん中に日本が無いな」とか、「図書館なのにおもちゃがあるんだ」とか、思わないわけです。

 

今後この地で娘が育っていく中で、早速、

娘と私の「当たり前」に差ができていくと思います。

まだ今の私は、娘が「寂しそう」とか「かわいそう」とか、勝手に感情を想像してしまうことが多々あるのですが

 

自分の感じた通りに娘も感じるはずだとか

同じメガネで見ているはずだとか

「当たり前」を押し付けないようにしないとなと。

前々から感じていることではありつつ

自分の無意識の「当たり前」を突きつけられている今

ひしひしと感じるのでした。

 

〜おまけ〜

私は大学時代に1年間、中国へ交換留学していたことがありますが、

・留学生=周りに外国から来た学生がたくさんいる

・学生=授業やホームステイなど、好きなだけどっぷり言語や文化に浸かれる

環境だったのだなと今感じています。

 

今の環境の方が、よりマイノリティだと感じるし

娘にとって今の私は、日本と娘を繋ぐ架け橋のような存在なので

日本語や日本の文化に触れさせることも怠りたくはありません。

住む場所(田舎感)や単身/帯同 等でも変わってくることですが。

 

学生の頃より歳を取って、守るものが出来て、

未知を嫌厭しがちな今、

海外暮らしはとっても良い経験になっていると感じます。

 

今の私はアメリカ出向の夫にひょこひょこついてきて、

娘と家庭を中心に1日が回っています。

学生の頃より、好きなように行動できるわけでもないし

自分で道を切り開いたわけでもなんでもないですが

だからこそ気楽に、思うままに、今ある制約とカルチャーショックを活かして味わいたいと思います。

 

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twinkle twinkle

アメリカでの生活がスタートしました。

今日はこちらでのビジョンを少し残しておきます。

 

1.for me

【「仕事」をしていない自分の頑張りや苦しみを、きちんと認めてあげること。】

家事や育児は仕事に比べて対価も成果も目に見えにくく、休みのないもの。

仕事をしていない=暇そう な感じがしますが、理解されにくい辛さや疲れは感じることがあると思います。

何より自分が、その自分の苦しみに寄り添える人にならないといけないな、と感じています。

 

2.for my partner

【言葉で伝えること。特に感謝の気持ちを伝えることを怠らないこと。】

夫は仕事でアメリカに来ていて、業務上の役割やプレッシャーの大きさに潰されそうになることがきっとあります。

時には家族内でのコミュニケーションが希薄になることもあると思います。

家族の今置かれている状態に対して「どう感じたか」伝えることを怠らないこと。

マイナスの感情もプラスの感情も、自分からコミュニケーションを取っていきたいと思います。

 

3.for my daughter

【目を見て話し、ハグをすること。】

一番は、無理をしないこと。

怒ってしまったり、嫌気がさしたり、適当になってしまうことがあっても、母としての自分を嫌いにならないこと。

その上で、余裕がある時には、愛情をたっぷり伝えられればと思います。

 

4.skill

【英語を積極的に使うこと。】

せっかく英語圏に来たなら、こちらの方と仲良くなること。

なるべく頑張らずに(楽しんでいるうちに)英語力が上がる状態を作ること。

 

5.travel

【旅行やカフェ巡りなど存分に楽しむこと。】

人生の長いスパンでみれば、特殊で楽しい時期だと思っています。

今しかできないことを(食体験や人との繋がりなども含めて)心置きなく楽しむこと。

 

今日は前に住んでた方が残してくれた、クリスマスツリーを出しました。

夫よりも背の高いツリー。

クリスマス、去年は何もしませんでしたが、

アメリカで初めて迎えるクリスマスを、

娘にも楽しんでもらえたら良いなと思っています(^^)

 

P.S.今日娘が「キラキラ」の手ができるようになりました

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Work / Life

「あと2日で一旦パパとバイバイだよ」

そう言うと、目の前のパパに手を振りバイバイした娘。

「違うの、今じゃなくてね、あと2回寝たら」

ーー?(きょとん)

 

あと2日で、夫がアメリカに旅立ちます。

そのまた1ヶ月後に、私と娘も追いかけるように旅立ちます。

海外赴任に帯同する妻である私の、ちょっとした雑感を残しておきたいと思います。

 

アメリカでした」

海外転勤を希望していた夫が、お夕飯の終わり際に唐突にそう伝えてきたのは、数ヶ月前のこと。

まず第一に、とても嬉しかった。

夢が叶った人の隣にいると、とても晴れやかな気分になれるものです。

 

海外転勤のことは、以前から夫婦で話をしていました。

夫も私も興味がある。

できたら片方が我慢するのではなく、お互いに、人生のどこかのタイミングで、叶えられたらいいね。

子育てにはどうしても生物学的に女性が身体の自由が制限される時期があるから、

夫が近々、私が少し子どもが大きくなってからかな、と。

 

私たち夫婦の家族感は、「離れていたら意味がない」。

単身赴任や別居婚などいろんな暮らし方や価値観がありますが、

私たち夫婦の場合は、「片方が海外転勤したら、もう1人が帯同する」という方針です。

 

夫の帯同が決まって少しして、私は職場に帯同休職する旨を伝えました。

大きな会社なので、長期的に帯同する場合でも、「退職」ではなく「休職」できるのがありがたいところ。

 

でも、4月末に育休から復職してからというもの、

仕事にもやりがいを感じてきた私には、今もまだ現在進行形で、「もっと仕事してたかったな」という思いがあります。

 

子どもとの暮らしが始まってからの復職は、

仕事に全力を注げるわけではなくなりました。

保育園から電話がかかってきたり、

子どもにうつされて高熱が出たり、

残業や出社は夫婦で譲りながら、

飲み会も、夫婦で被らないように気をつけながら。

 

ふと、モヤモヤするのが

私の職場の男性たちの働き方が、

物理的に、今の自分にはできないこと。

そして自分と同じ働き方をしてる方の中に、(たまたま)お子さんのいる女性がいらっしゃらないこと。

 

小さい子どもがいるあの忙しそうな先輩の奥さんは、どんなふうに仕事と両立してるんだろう。

復職してからは、そんな疑問が常に頭にあるようになりました。

 

結論として、奥さんは

お仕事をされていないか、時短か、一般職か…

というケースが多いようです。

(働き方はそれぞれで、決して上に列挙した働き方を否定するつもりはありません)

 

男女半々ずつ総合職で就職した私たちの世代と、

その上の世代とのジェネレーションギャップと、

そして、ジェンダーギャップを、どちらも感じてしまうのでした。

 

一方で、仕事だけを欲張れば、それは理想の暮らしではなくなります。

いろいろ悩むことはあれど今の私は、自分の幸福感に沿って生活を送れています。

 

かわいい唯一無二の娘にはいつも支えられていて、本当に運良く出会えて幸せだなと思っています。

「子育てのせいで」と思う気持ちも、「出産をもっと後にすれば良かった」と思う気持ちも、まったくありません。

 

ただ今後、夫に帯同することで、育休で一年休んだことに加えてまた数年、キャリアがストップします。

きっと、「キャリア」の面だけでは、今後ももどかしさを感じたり、悩んだりすると思います。

 

とはいえ今後のアメリカ生活は、やっぱりとっても楽しみです。

大学を卒業してからの短期的な視点では休職が続いてしまいますが

長い人生の中での数年という意味では、きっと面白い日々が待っているはずです。

 

キャリアへの悩みに蓋をするのでなくしっかり向き合いつつも、

せっかく訪れた環境の変化を、前向きに楽しんでいけたらいいなと思います。

 

次回は、休職後にまた。

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おもいでのまち

夫婦で休みを合わせて、台湾旅行に行ってきました。

コロナ禍で結婚した私たちにとって、初めて一緒に行けた海外。

そして、娘にとって、生まれてはじめての海外。

 

帰国後数日経ち感じているのは、今、この地域へ、このメンバーで、旅行できてよかったな、ということです。

 

まず第一に「行けてよかったな」。

どんなに飛行機や宿を前もって予約したり、ごはんやさんを調べていても、その時になってみないと分からないのが天気と体調。

子どもが、熱もなく、飛行機でもぐずることなく行って、そして帰って来れて、本当に良かったな。と思っています。

子どもがいるからこそ旅行のハードルが下がったようで、全員が元気に行って帰って来れただけで、100点です。

 

第二に「この地に、このメンバーで行けてよかったな」。

私の友人なら多くの人が知っていること、それは、私は中国語が好きだということ。

今回の台湾旅行は、タクシー運転手さんや屋台のおばちゃんなど、いろんな方との中国語での会話を楽しみました。

何より嬉しかったのが、いきいきと中国語を話す私を見る夫の目が、とても優しかったこと。

好きなものに囲まれている時、それをただ温かく見守ってくれている存在がいるということは、本当に幸せなことだと思います。

夫の大きな愛情に触れられて、「この地に、夫と娘と、行けてよかったな」と思いました。

 

第三に、「今、行けてよかったな」。

今の娘は、今だけ。どんどん大きくなってしまいます。

そして、私たちの今の暮らしも、今だけ。

はじめは海外旅行を計画するには、まだ子どもが小さすぎるかもしれない、とも思いましたが

娘は私たちの想像を遥かに超えて、台湾の景色や食事に強い興味を示し、五感で楽しんでくれました。

違うタイミングなら、きっと行けなかった。

違うタイミングなら、きっと違う旅になっていた。

家族の形が「今、この状態の時に来れて、よかったな」と思いました。

 

中華圏は、私にとって一番思い出深いエリアです。

その思い出のきっかけは、遡ればみんな「なんとなく」。

なんとなく、学校の語学選択で中国語を選び、

なんとなく、中国語が楽しくて授業以外でも勉強するようになり、

なんとなく、留学に興味を持って。

もちろん、学べる環境があること・選択肢があることはとても恵まれていたと思っていますが、

何に打ち込んでも良い時期に、中国語を皮切りとして中華圏の文化に触れることを選んだのは私です。

その魅力を理解しない人に否定されたことも少なくないですが、

私は、スキルとして中国語が話せるということよりも、中華圏に一生ものの大切な思い出がたくさんあることを、何より嬉しく、誇りに思います。

今後もこの思いは変わらないと思います。

 

一度きりの人生においては「なんとなく」は実はとても大切で、どれだけその感覚に正直で居られるかが、幸福感に大いに左右すると思っています。

だから、台湾で新たな夫の横顔に出会えて、ただただ嬉しかったのです。

そして、時に理解されないことがあろうとも、私は「なんとなく」を尊重してくれている人に囲まれています。

私が「なんとなく」このつらつら言語化する場所を温めていることを知り、尊重してくれている友人にも、ありがとうが伝わっていたら嬉しいです。

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