パチパチ

立ち、歩き、手先も少し器用になった娘。

「パチパチ」や「ハイタッチ」などをよくするようになりました。

 

出来ることが増えていく過程でよくするのが、自分へのパチパチ。

たっちが出来た時、積み木を上手に置けた時、歯磨きの間に口を開けられた時。

自分で自分にパチパチします。

 

大人はつい、いろんなものが邪魔をして、承認欲求というものを抑えながら生きてしまいますが

子どものそういう遠慮のなさは、生きる歓びに満ちていて、清々しいものです。

 

上手にできた時、自分で自分に拍手をする。

鏡に自分の顔が映ると、嬉しそうに声を上げる。

自分の動画を見るのも大好き。

心細い時にはママやパパに「だっこ」と甘える。

 

生まれてすぐは人間ではない別の生き物みたいだった娘は、

時に大人よりも人間らしい仕草を見せてくれます。

 

その娘を見ていると、2つ、実感することがあります。

 

1つ目は、愛情は、注げば注ぐだけ、良いということ。

娘の「パチパチ」は、私たち両親が娘に拍手するところを真似ている仕草でもあります。

「すごいね」「上手だね」の声掛けにも得意げな表情を見せてくれます。

見ていてもらえる・認めてもらえるということは、子どもにとって何よりうれしいもの。

娘のそのままを肯定し、愛情を素直に表現できる親でいたいと感じます。

まだ喋れないけど、言葉の意味はずいぶん分かっているようです。

たくさんのハグと言葉で「ありのままのあなたが好き」と伝え続けたいものです。

 

2つ目は、自分で自分を褒められる人というのは、こんなにも清々しく映るものなのだな、ということ。

小学校の高学年の頃、プロフィール帳というのが流行っていて、裏表の紙に、自分の名前や好きな食べ物、100万円の使い道など、いろんなことを記入して交換こしていました。

たくさんある質問の中にはYes/Noクエスチョンもあって、

一度だけ、「自分が好き?」という項目で、Noに丸をつけたことを覚えています。

当時、「ナルシ」という言葉も流行っていて、「この質問でYesに丸をしたら変かな?」と思ったためでした。

でも、Noに丸をしてからしばらく、なんとも言えないモヤモヤがあったのです。

そのモヤモヤが嫌で、それ以降は、「ナルシと思われてもいいや」とYesに丸をするようになりました。

今思えばなぜあの質問があったのか、よくわかりませんが、

今あの頃に戻れれば「Yes」に書き換えると思います。

 

ちょっと話が脱線しましたが、大人になると、自分を肯定する力が十分に備わっているというだけで、ずいぶん自由に、のびのびと自分らしく生きられるものです。

思い返せば私はこれまで自分を嫌いになったことはなく、

当時抱えたモヤモヤは、自分に嘘をついたから感じたものでした。

娘の今ある自己肯定感と生きる歓びを、ちゃんと守りふくらましていける親でいたいです。

 

娘のパチパチ。

なんでもない1歳児がよくやる仕草の一つですが、

清々しい仕草を毎日傍で見られて幸せです。

 

今実は環境の変わり目にあり、少しバタバタしていますが、

バタバタの中でも今日も一日楽しく健康に過ごせている家族全員に、拍手を送りたいと思います。

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捨てるこだわり 守るこだわり

復職してから1か月半が経ちました。

私の仕事は毎月繁忙期が決まっていて、二か月分、ちょっと忙しい時期を経験しました。

出産前と違うのは、子どもがいるということ。

夫婦二人暮らしの頃は、ある意味勝手に残業すれば良かったのですが

今は、残業をする時にはパートナーの仕事の様子を見ながら

残業を「させてもらう」感じがあります。

私が残業をする日には、保育園への迎えやごはん、お風呂、寝かしつけなど、夫がしてくれることになります。

 

仕事の話になりますが、私が今しているのは、産休前とは少し違う仕事。

引き継いでから日も浅く、まだ、わからないことがたくさんあります。

私の仕事の前任者は、私よりも年次は上で、みんなから頼られますが、どんなに些細な質問にも丁寧に寄り添ってくれる方。

「ここはこれでいいんでしょうか?」と聞くと、

「ここは自分が気になるかどうかだけなので、気にならなければ放っておいても大丈夫だよ」

「金額的な規模感をつかんで、重要でないと思えば省いても大丈夫だよ」

「あるべき形はこうだけど、いくら時間があっても足りないから、こうしてしまうのも一つの手だよ」などと助言をくれます。

 

そして気付くのは、仕事というものは全てを完ぺきにやらなければいけないのではなく、

自身が気にしない部分はいい加減でも大丈夫、ということ。

私の意思を尊重しつつも手の抜きどころを教えてくださる先輩からは、仕事の仕方も引き継ぎの仕方も、学ぶことがたくさんあります。

全ての仕事に対して「ちゃんとやらなきゃダメだよ」と言う方が、責任も要らず楽なはずです。

 

今の私の働く環境は、夫の理解と娘の健康の上に成り立っています。

そこに、任せられている仕事はきちんとやり遂げたい、と思う私がいます。

 

「きちんとやる」とはどういうことか。

就職後間もない新卒の頃の私は、それは完全無欠な状態だと思っていましたが、

最近は、まじめに仕事に向き合いつつも、無理なくやること、常に少しの余裕を残しておくこと、だと思っています。

サボるというわけではなく、こだわりたい部分にはしっかりこだわる、でも、こだわらない部分も自分の中に軸として持っておく、ということです。

 

家庭においても同様ですが、解はもう少し単純で、

「きちんとやる」とは「ご機嫌でいること」だと思います。

そして、自分の機嫌がイマイチな時に、すぐにそれに気付けること。

これは単純なのですが、なかなか難しいです。

今私がご機嫌でいるためにやっていることは、夜更かししない、これだけです(笑)

それでも、仕事も育児も流動的な中で、予想外はつきもの。

思ったより娘の夜泣きが激しかった次の日の朝なんかには、にっこりご機嫌ではいられません。

 

肝の据わった母でいたい。

これは妊娠中から思っていたことですが、

心の中に凪いだ部分を常に持っていたい、というのが最近新たに加わったことです。

感情の起伏の激しい人は、近くにいる人を疲れさせます。

凪いだ部分を持つために、自分の取り扱いをちゃんと自分でわかっていないとな、と感じています。

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ぎゅっと濃縮 12か月

娘、1歳となりました。

私は娘が1歳になる少し前に復職し、職場復帰してから1週間ちょっと経ちました。

 

保育園に通い始めた娘は、毎日鼻水や咳が出ています。

朝から晩まで預けているので、家に帰ると眠たそう。

家で見せる表情はいつでもオフモード。

平日は起きている時間のほとんどを保育園で過ごすようになりました。

それでも、育休中に丸一日娘と過ごせていた頃とはまた別の、確かな充実感があります。

 

まず、娘と保育園。

娘は、同級生の中では一番お姉さん。

まだハイハイできない子もいる中で、さっそくお姉さんの表情になってきているようです。

一方で、保育園全体では、一番年下です。

朝早く預けると、学年の垣根を越えて朝番の先生が子どもたちの世話をしてくれるようなのですが、娘は、他の子たちにとっては、朝だけ会えるかわいい赤ちゃん。

みんなでかわるがわるお世話をしてくれるようです。

他にも保育園は、先生、給食、おもちゃ、設備全体、子どもに快適につくられている場所です。

親は、唯一無二の存在ではありながら、子どもの傍に片時も離れず居ないといけないわけではありません。

娘の居場所は社会の至る所にあって、親は子どもにとって「疲れた時に座れる切り株」であればいいわけです。

さっそく娘は保育園に慣れてきていて、素敵な先生や子どもたちに囲まれて過ごせているようで、とても嬉しいです。

 

次に、私と仕事。

7営業日くらい働きました。

昨日までは定時でしたが、今日は1時間半くらい久々の残業も。

1年以上離れた場所にまた戻ると、業務内容のおもしろさにも、一緒に働く人の温かさにも、仕事全般のやりがいにも、改めて気付かされます。

同じ経理ながら、今までの業務とはほんの少し違うのですが

少し違う角度から見れることもまた、面白いのです。

右も左も分からなかった新卒の頃の私。

あれから、経理を志望して良かったのか?と悩む時期もありましたが、地道に踏ん張った過去の私のお蔭で、今の私は楽しく職場復帰できています。

特に、「人」。人として尊敬できる方々に囲まれているのが何より幸せです。

復職してすぐなので、つらい時期はきっとこれから。

それでも、前向きに乗り切れそうな気がしています。

 

最後に、夫と私。

娘を保育園に預けるようになってから、夫婦二人だけの時間が少し増えました。

私が働く少し前には、平日に二人で東京へ出てランチデートをしたし、

働き始めた後も、週に一度は二人揃っての在宅勤務ができています。

在宅とはいえもちろんそれぞれ仕事がありますが、

お昼休憩には一緒にご飯を食べながら、お互いの仕事の話が出来ています。

そして、二人分のコーヒーを淹れて、またそれぞれの業務にもどっていきます。

夫も私も、挑戦してみたい仕事があります。

専門分野は全く異なりますが、お互いのキャリアの話ができるととても楽しいです。

私は働く夫を応援しているし、私も夫に応援されている感じがします。

お互いがお互いの働く姿を好きなのだと思います。

育休中に比べると、平日は、ごはんも家事も育児も省エネモードですが、今は今でとっても幸せです。

 

それぞれの時間にそれぞれの幸せをぎゅっと濃縮させてどっぷり楽しさに浸ればいい。

まずは、久々に再開した仕事を、しっかり味わいたいと思います。

 

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各々の場所で 11か月

娘、生後11か月となりました。

4月の頭に入園式があり、さっそく1週間ちょっと登園しています。

初めは1時間から、徐々に時間を延ばし、給食やお昼寝なども少しずつ慣らし、進めています。

子どもが生まれるまでは、保育園に「慣らし期間」があることもよく分からず、

子どもが生まれた後も、2週間もかけて慣らしていくのか!と驚きましたが、

いざ登園させてみると、子どもは大泣き。帰るとかなり疲れている様子。

保育園の慣らし期間を軽く考えていた私は、

いかに子どもの視点で見れていなかったか、ようやく痛感しました。

 

どこにいても何をしていても、ずっとママかパパがそばにいた娘。

ママもパパもいない場所で過ごす時間は、たとえたったの1時間でも、とても寂しくて不安で、怖い気持ちでいっぱいだと思います。

慣れればきっとすぐ、お友達と、家ではできないいろんな経験を積み重ねていくのだと思いますが、慣れるまでの間は、娘の気持ちにぴったりと寄り添わないといけません。

きっとこれからも、今回の私の復職のように、家族の日常の変化に伴って娘の環境も変わります。

その時に、大人の視点だけで思考をどんどん進めないで、

子どもや他の家族の視点に立ってじっくり環境を観察して、みんなで新たな場所に彩り豊かな足跡を増やしていく、そういう家族でいたいです。

親と目が合うと嬉しそうによく笑い、不安や不満は必死に泣いて訴える娘は、もう一人前の人間です。

私の想像以上に、よく状況を分かっているし、精神的にも成長しています。

もう、親だけで頭でっかちに考える時期は、とっくに過ぎています。

 

一方で、娘は居場所を自分で決められません。

住む場所、通う保育園、今日着るもの食べるもの出かける場所。

今日を好きに生きられる私に比べると、親に左右される毎日はとても不便なものだと思います。

しばらくは、娘の環境は親が決めます。

保育園にいつから通わせるのか、

習い事はするのか、

小学校は公立か、中学受験はするのか、

子どもの意思を聞きつつも、たいてい、親が決めます。

これは親になった私にとって、とても難しいことだなと感じています。

 

子どもに不自由な思いはさせたくない。

が、習い事や塾、受験のサポートをとにかく手厚く丁寧にすることが、果たして子どものためなのか。

既に、慣らし保育で大泣きの娘を見て「今このタイミングで保育園に入れる」という選択をしたことは正しかったのか?と一瞬悩んだ私は、

今後いろんなことで、もっとたくさん悩むと思います。

 

私自身は、ほぼ毎日習い事があった小学生でした。

(共働きの両親の仕事との兼ね合いがあったので、両親は教育熱にうなされていた、という訳ではないと私は感じています)

スキルが身について、お友達ができて、良かったと思う反面、

「何しようかな、暇だな」とくだらない一人遊びをしたり、友達とだらだら喋ってみたり、そういう暇な時間も子どもには(というか人間には)不可欠だとも思うのです。

そういった観点で考えれば、学校や習い事をこなすのにいっぱいいっぱいなスケジュールだと、「遊び」が無くなってしまいます。

暇な時間は人を面白くします。

子どもの将来を想うのは親の愛でありながら、

将来のことばかりを心配して、今ここに生きている子に鈍感になってしまうのは、失礼だとも思います。

保育園に入園し、はじめて家族の外の社会に触れたばかりの娘を観察しながら、お節介にもそんなことを考えている春です。

 

私の復帰まで、あと少し。娘の慣らしも折り返し地点まで来ています。

最近の改めての気づきは、夫は本当に素晴らしい父で、素晴らしい夫で、素晴らしい人であるということ。

娘も私も変化の時にいますが、夫がいるのできっとどうにかなる、そう確信させてくれる、夫に感謝です。

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君とパパが大好き 10か月

娘、生後10か月となりました。

去年の今頃、私は大きくなったお腹で、産休に入りました。

今では娘はハイハイもつかまり立ちも思いのまま。

一生懸命おしゃべりしたり、遊んでいるおもちゃを取ると怒ったり。

喜怒哀楽それぞれ表現する術が身についてきていて、すっかり小さな人間です。

 

私は最近、娘と、そして夫が大好きです。

 

4月の半ばまでは、主に、夫が働き、私が家事と育児をすることになります。

取り組んでいることが違えば、すれ違いはうまれるもの。

のはずですが、

夫はいつも、仕事終わりの電話で「今日はどうだった?」とこちらの話を聞いてくれます。

残業の日も、疲れていそうな日も。

そして私が話した他愛ないエピソードに

面白そうに相槌を打ってくれる日もあれば、

「今日もありがとうね」

「(娘の育児で)いろいろ工夫してくれたんだね」

「離乳食も全部やってくれたんだね」

「おつかれさま」等々労いの言葉をかけてくれたりします。

 

本当に本当に夫は素晴らしい人だと思っています。

私が夫の立場に立った時、

外の人と接する「仕事」に比べると

自由に手が抜けそうな家事や育児に対して、

また、

それら中心で生きている相手(私)に対して、

こんなに真摯に向き合えるだろうか、と感心してしまいます。

 

夫は仕事への向き合い方もかっこいいのです。

真面目で、直向きで、責任感があって、でも、ポイントを押さえているから、(手を抜いているという意味ではなく)仕事の強弱がわかっている。そんな感じがします。

 

娘の落ち着いた性格と長い睫毛、ぷっくりほっぺは夫譲りです。

娘は夫に似ていると言われることが多くて、人によっては自分に似ていないと寂しいと思うことがあるようですが、

私は夫譲りの娘も、娘のことを大好きな夫も、どちらも大好きで、とっても誇りに思っています。

 

一方の私はというと「聴く」ことの難しさを感じています。

先日ここにも書いたように、11月ごろからカウンセリングの勉強をしています。

ポイントは結局のところ「聴く」に尽きるのですが、こうしてカウンセリングの勉強をしているのにも関わらず、結局夫に話を聞いてもらってばかりなのです。

友人の話を聞く時に、ついつい自分の話をしてしまったり、無用なタイミングで口を挟んでしまったり。

カウンセリングの勉強をすれば聞き上手になれるのではないかと思っていたのに、蓋を開けると、聴くことの難しさばかりをひしひしと感じるだけの自分がいるのです。

娘と言葉を交わすようになっても、きっとこのままでは聞き上手にはなれません。

でも、完璧な親には慣れっこないので、できる範囲で努力できればいいかなぁ、なんていう風にも思っています。

 

少し話が変わりますが、カウンセリングの勉強をするようになってから、自分の癖を少し遠めに観察するようになりました。

頑固でこだわりの強い私は、少し無理してマイルールを課しがちです。

日々のご飯、離乳食、読書、日記、掃除……家事も育児も自分のことも、いくらでも手を抜けるけれども、手を抜くのが苦手です。

その上、子育てイベントやお母さん友達との家の行き来で、昼間何かと予定を入れてしまいます。今のところ、3月の平日で何も予定がない日はありません。

 

こんな風だから、朝まず買い物を済ませ、日中誰かと会い、存分に楽しんだ後はご飯を作り、家族で食卓を囲みお風呂に入り、寝る前には離乳食のストックを作って日記を書いて、「あれ、もうこんな時間」となってしまいます。

昼間、疲れを感じても気付かぬふり。でも、思いがけず夜泣きがひどい日もあるし、季節の変わり目や生理など、疲れやすい日もあります。

頭も身体もフル稼働させるのが私の癖。ですが最近少し、疲れを認め、休むことができるようになってきました。

 

私は今、疲れていないか?イライラしていないか?悲しくないか?無理していないか?辛くないか?

そう、自分自身に問い、寄り添い、労わることの大切さをとっても感じています。

「少し頑張れば大丈夫」だけど、「少し頑張らないだけでもっと人に優しくなれるし、身体が軽くなる」。そんな感じでしょうか。

これから仕事復帰するにあたって、今得ている気づきは大きなヒントになり得ると思っています。

 

P.S.

上記の内容に反しますが、料理を楽しみたかった日に魚焼きグリルで焼いた焼き鳥です。

秋の味覚大集合の春のお献立。

美味しそうに頬張る人が横にいることも

お腹いっぱい美味しく食べられる心と身体と環境があることも

とてもとても幸せなことです。

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出会いも深まる 9か月

娘、9か月となりました。

途中一度嘔吐があったり、鼻水が出たり。

季節柄もありますが、少しずつ体調を崩しやすい月齢になってきたと感じます。

 

先日、保育園の決定通知が来ました。夫婦そろって第一希望に選んだ園でした。

さらに数週間前、職場の上司との復職面談もありました。

年が明け、少しずつ育休中の日常から、復職後へと移行する準備が始まっています。

 

つかの間の春のような陽気に、3月上旬のある日の日暮れ頃、ウルウル温かな涙を堪えながら、職場から帰路についた日のことを思い出します。

その次の日から私は産休に入りました。

まもなく1年が経とうとしていますが、また次の4月には復職します。

「今ある日常が終わろうとしている」というタイミングでは、こうしていつも、日常の幸せが周囲の人に支えらえて成り立っていたものだということを実感します。

 

娘が生まれて数か月したころから、近くのいろんな子育てイベントに行くようになりました。

慣れてくるとほぼ毎日。一日に2か所行ったりもして。

最近は子育てイベントに行く頻度は減りました。

その分、すっかり打ち解けたお友達のお家に行ったり、逆に来てもらったりして過ごしています。

離乳食のこと、夜泣きのこと、発達のスピードのこと。子育てをしているとおのずと湧いてくる気がかりなことや苦労話を、なんでもポロっと話し、労わりあえる間柄です。

私が楽しく子育てを出来ている理由の一つには、出産後に出会ったお母さんたちの存在があり、そして私の心の健康が、娘の楽しそうな笑顔につながっています。

 

最近娘は、「人」への興味が強くなってきました。

家に赤ちゃんが来てくれれば見つめ合ったりお話したり、

その赤ちゃんのお母さんのこともじーっと見たり。

赤ちゃんの成長において、家族ももちろん欠かせませんが、

家族以外の大人や同月齢くらいの子の存在もまた、大切なのだと感じます。

生まれたてはよく目が見えていなかった娘が他者との交流を少し楽しめるようになった今、娘の周りには顔なじみの赤ちゃんがたくさんになっていました。

「子育てを始めると社会的に孤立してしまう」というケースは珍しくないのだと思いますが、

私たちの場合はたまたま良い街を住む場所として選べたからなのか、多くの出会いに恵まれました。

たまたまこの地でこの時期に出会えたお母さん達。紛れもなくその出会いは娘のお蔭で、温かな出会いをもたらしてくれた娘にまず感謝しています。

 

そしてお母さん達。

これまで出会ってこなかった職業に就いていたり、年齢もバラバラだったり。

子どもへの接し方、家族への考え方、そしてその方自身の生き方。

子どもに個性がそれぞれあるように、お母さんもまた、それぞれその人にしかないキラリと光る一面を持っていて、そして決まって、強くて優しくてエネルギーに満ちた方々です。

私の育休が始まったころには知り合いもほとんどいなかったこの町で、まばゆい彩りを加えていってくれたお母さんたちに本当に感謝しています。

 

今ある日常が変わり、娘は保育園に通うことになりますが、

人への興味が増してきた娘にとって、最適のタイミングだと思っています。

私自身の復職や、復職後の家事育児に関しては不安は残ります(というか不安しかないです)が、娘はきっとこの変化の後も楽しくやっていけると思います。

そう思えるのは娘が既に少し社会に出て、人との出会いを楽しんでいるように感じるからです。

 

親の私は、復職までの残り少ない期間、今だからこそ作れる思い出を、作りすぎるくらいにたっぷりと作っておこうと思います。

 

P.S.お家に誰かをお呼びする時、お昼ご飯も食べて行ってくれる方々もいます。

この日はタコライス、豚汁、いちごとバナナ。

保育園の先生をしているお母さんと、2人の男の子を育てているお母さんが来てくれた日です。

味は平凡でも、人と食べるご飯は、やっぱり楽しいし美味しいです。

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パパママだいすき 8か月

あけましておめでとうございます。

昨年の今頃は妊娠中で、無事に出産できるか不安でもあったので、

無事に家族3人揃って2023年を迎えられたことをとても嬉しく思います。

 

この年末年始は、年末は私の実家に、年始は夫の実家に帰っていました。

実家には娘にとって見慣れない家族たちがいます。

生後8か月になり、人見知りをするようになった娘は、抱っこされると大泣き。

でも、私や夫が抱っこするとぴたりと泣き止み、にっこりご機嫌です。

時間の経過とともに徐々に実家の雰囲気にも慣れてはきていましたが、

やっぱり最後までパパとママだけは格別だったようです。

 

たまにしか会えないおじいちゃんおばあちゃんに可愛がってもらうより、

今の娘にとっては、いつも一緒にいてくれるパパとママが一番。

特に私は、夫が仕事をしている平日の昼間も一緒にいるし、夜泣きをすれば授乳しているので、たぶん娘の中で一番安心できる存在です。

娘の人見知りは親をちょっとした優越感に浸らせてくれますが、同時に2つ、気をつけなきゃなと感じていることがあります。

 

1つ目は、自身の健康。

これまで大きな病気をしたこともありませんが、人生の中のちょっとした頑張り時には、多少、健康を疎かにする時期がありました。

4月から復職予定なので、また、今より少し頑張り時の日々が待っています。

ちょっと睡眠時間を削ったり、今よりストレスが溜まったり、忙しくなって大変な思いもするでしょう。

これまでは多少無理してもへっちゃらでしたが、これからは自身の最低限の健康を守っていかないと、後悔すると思います。

私にとっては加齢で健康維持が難しくなるから、というよりも、娘の存在が大きいです。

安心できる存在が途中でいなくなってしまったり、甘えられなくなったりしてしまうことは娘にとって寂しいことだと思います。

これは夫も同様。夫の健康と、夫とのパートナーシップと。心身ともに健康な夫婦でいられたら最高です。

 

2つ目は、権力の濫用をしないこと。

前述したとおり、娘にとってはパパママが一番です。

これは残念ながら、私が良い親だからではなく、赤ちゃんにとって親とはそういうもの、というだけにすぎません。

娘が他人を警戒したり、他人に抱っこされると泣いたりする様子は、「やっぱり私じゃなきゃダメなのね」と親を優越感に浸らせてくれます。

でも娘は、親を選んでここに来たわけではないということ。

これを常に心に留めておかなければならないな、と感じています。

私は、娘やよその赤ちゃんが人見知りするところを見ていて、泣きそうになることがあります。

絶対的に信頼できる相手である「親」が自分に合わないかもと疑いだすのは、早くても中学生くらいでしょう。

それまでの10年以上は、どうしても私と夫の好きな生き方に娘を付き合わせてしまうことになります。

どんなにおかしな子育てでも、狂った親でも、娘は好かれようとするはずです。

家族というものは、一緒に暮らす身近な存在でありながら、とても閉鎖的で、よその価値観が入る隙間がなかなかありません。

親子関係にはさらに、上下関係が入ります。

私と娘との関係において、私は優位にいるわけです。

「これが常識よ」「これが出来たら良い子よ」「親にはこういうふうに感謝しないといけないのよ」なんて言ったら、全部鵜吞みにすると思います。

子どもが大きくなった頃、「これまで、お金も時間も割いて育ててやったんだから」云々言う親は、ずるい親だと思っています。

 

人見知りが激しくなってきた娘が、

自らの意思で我が家に来てくれたわけではないですが、

私たち夫婦は娘に出会えて、娘の成長を間近で見れて幸せな2022年でした。

 

今回で8回目となるおせち作りも、前回は大きくなってきたお腹で、

そして今回は、ぐずる娘を時にはおんぶしながらでした。

来年はおせちを一緒に食べてくれるかもしれません。

恒例行事も娘のおかげで彩り豊かなものになります。

どうもありがとう。

 

2023年も充実した1年となりますように。

 

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