産毛

産毛、とても愛らしい単語です。

最近ではムダ毛と聞くことの方がずっと多いですが。

 

私の思春期の記憶には、産毛にまつわるものが2つあります。

 

1つ目は、小学校4年生くらいの秋。

その日は廊下で壁にもたれながら体育座りをして、友達とおしゃべりしていました。

その友達は半ズボンを履いていました。話しながら友達の足をぼんやりと眺めていたら、きちんと並んだ産毛が見えて、とても綺麗でした。

綺麗だなぁと思ったことだけがとても心に残っているけれど、もしかしたら「産毛綺麗だね」って、直接言ったりしたかもしれません。

 

2つ目は中学校2年生の時。

美術の授業の自由に絵を描く時間に、同じクラスの女の子に「毛、剃らないの?」と言われたこと。

その子の腕を見ると、ムダ毛がきちんと処理されていました。

産毛はいつ、ムダ毛になっちゃったんだろう、と、少し寂しい気持ちになりました。

 

そして、高校・大学と。

いつしかムダ毛を処理している友達の方が多くなったし、「面倒な処理を手軽にできる」と謳った脱毛の広告もとても身近になりました。

女の子だけがムダ毛を処理するし、女の子だけに広告も作られる。

そして私も自分のお小遣いでカミソリを買いました。毎日は気が引けたけれど、数日に一度、ムダ毛処理もするようになりました。

 

社会人一年目の冬。

肌を見せることの少ない今、わざわざ進んでカミソリを手にすることがありません。

袖をまくると、小学校の友達ほどではないけれど、綺麗に、産毛が並んで生えています。

思春期からずっと兄弟にも恋人にも共有できずにいたけれど、思春期を終えた今も、産毛の並んだ身体を見て「やっぱり何も生えてないより、こっちの方が綺麗だなぁ」と思うのでした。

 

暖かくなればまた、人の目を気にして剃るのでしょう。私にとってはちっとも美しくないけれども。

長袖の季節だけの幸せにまたしばらく浸ることにします。