世代間交流、
という言葉は、地域の公民館で、あるいは小中学校で、行われそうな響きをもつ。
曽祖母の時代。
戦争を大人として経験した時代。
祖母の時代。
ごく一部の女性しか大学に行けなかった時代。
母の時代。
今ほどモノも衛生もプライバシーも確立されていない時代。
私の時代。
少子高齢化の時代。
私の子どもの時代。
地球温暖化の影響が更に大きくなる時代。
私の世代、すなわち今の若者は、
お年寄りを恨んでいる。そんな風潮がある。
今より財政に余裕がある時代に、呑気に過ごして来れて良かったよなぁ、と。
お年寄りを老害と呼ぶことが珍しくなくなったのは、いつからだろうか。
今の若者は、不安だ。
これから先、自分がどんな環境で生きていくのか分からず、不安だ。
でも、ひとつ思うのは、
どの時代を生きていたって、若者は不安を感じる生き物なのではないか、ということ。
残りの人生が長いからこそ、数十年先の自分が想像できなくて、不安になる。
そんなことは、当然だ。
それは、お年寄りのせいでもなく、時代のせいでもない。
過去を生きてきた人に対して、「なぜこうしなかったのか」「なぜああしなかったのか」と責め続けることは、なんとも不毛だ。
過去は変わらない。
いつの時代も、お年寄りは、恨むべき存在ではなく、人生経験のあれこれを教えてもらうべき存在だと思う。
核家族化が進み、老人ホームでお年寄りが生活するようになって、ひとつ屋根の下にいろんな世代が集うことはとっても少なくなった。
どの時代にもそれぞれ困難があり、どの世代もそれを乗り越えながら生きてきたというのに、それが見えにくくなっている。
一方で、同じ世代が寄り集まって他の世代を叩くことは、SNSで簡単にできるようになった。
とても怖いことだと思う。
私に今、できることは何か。
親を大切にして、お年寄りとの接点を自分から作りにいくことではないか。