昨日入籍しました。
この文章を読んでいる人の中に、もしも祝福の言葉をくださった方がいるのなら、改めて感謝の気持ちを伝えたいです。
本当にありがとうございました。
婚姻届を出したからと言って、何かが変わるわけでもないんです。
仕事の名字は旧姓のまま、結婚式は未定、
引っ越しは2月の終わりで、海外へのハネムーンもありません。
変わったことといえば、戸籍の名字と、左手の薬指が少し賑やかになったことくらいでしょうか。大きな変化のようですが、今、夫になった彼が隣にいるわけではありません。
今日も私は、退去の近くなった一人暮らしの部屋で、ごろんごろんとしています。
そういう中での「おめでとう」は、それはそれは心に響くものです。
きっと私が生を受けた瞬間にも、たくさんの「おめでとう」があったんでしょうが、もちろん生まれたばかりの私は呼吸をするのに精一杯で、覚えていません。
だから昨日は、25年生きてきて一番の数の「おめでとう」をもらえた日だと思っています。とてもとてもくすぐったくて、嬉しくて、まるで世界の主人公になったかのような日でした。
一方で私は、「結婚という通過点」を通ったから祝福されたのかというと、そうとも限らないなとも感じています。
まず私が結婚を望んでいることが前提にあり、
それを叶えられたから、
そして何より叶えた私が幸せそうだから、
お祝いの言葉をくれた、という感じでしょうか。
「幸せそう」「お似合いだね」といった言葉たちは、私の幸せに寄り添おうとしてくれるからこそ、かけられる言葉だと思います。
私にとっては昨日の入籍は特別な日でしたが、
当然、別の瞬間が「お日柄の良い日」になる人がいます。
周りの人たちに出来るだけ寄り添って、その人にとっての「お日柄の良い日」を見逃さない人でいたいです。
夫婦共々まだまだ未熟ですが、もらった温かな言葉たちをこれからの幸せの糧にして、少しずつ恩返ししていきたいと思います。
2021年1月20日を、私にとってのお日柄のいい日にしてくださって、どうもありがとうございました。