「子ども、何人欲しい?」
こう聞いたことがあるし、聞かれたことがあります。
「うーん、2人くらいかな」
と答える人が多い気がします。
偶然、私も夫も、2人くらい欲しい。
私は人一倍、「子ども」に対する憧れが強いと思います。
小学生の頃、初めての生理を経験して、「赤ちゃんがお腹の中で育つための準備だよ」という言葉に感慨深くなったし、
中学、高校、大学と歳を重ねるにつれ、子育てしてみたいな、という思いは強くなっていきました。
そして、結婚した今は、子どもはかなり身近で現実的なものになりました。
夫婦で子どものことを話し合ったりすると、家族になったなぁと思います。
ところで、「子どもが欲しい」という願望は、一体どこから来るのか、不思議です。
ヒトという種を繋いでいくために、欲しくなるように出来ているのだとは思いますが、
まだパートナーも定まっていないうちから、「将来子どもが欲しいな」と平気で友達に話したり、
出産も育児も一度も経験していないのに「2人欲しい」とか言うんです。
きっと子どもが産まれると、「子どもが欲しい」という願いは、「子どものために」に変わっていくと思います。
子どものために…
もっといい仕事につこう、
栄養バランスの整ったご飯を作ろう、
お金を貯めておこう、
という具合に。
そしていざ子どもが巣立つと、
子どもの居た家が、途端に広く感じられ、
「子どものため」が無くなることが、寂しく感じられるでしょう。
結婚してすぐ、夫婦2人だった時には、
子どもができることで夫婦の時間が無くなることがちょっと不安だったのに、
いざ、居た子どもがいなくなると、夫婦2人では少ない感じがするのです。
私に子どもはいないので、
育てる苦労も、巣立っていく寂しさも、みんな経験したことはなく、想像の世界ですが。
こうして考えると、「子どもが欲しい」という想いは、つくづくわがままの塊だなぁと思うのです。
私は、生殖能力に問題が無ければ、きっと子どもを持つことと思います。不思議とそれを望んでいます。
いざ、子どもを持った時、可愛さゆえに、
こんなふうに育って欲しい、これを経験させたい、こんな苦労させたくない、等々たくさん思うでしょう。
でもやっぱり、その理想に向かって、「ここまで育ててもらってるんだから、言うこと聞きなさい」とか「そっちより、こっちの道の方が苦労せずに済むよ」とか言う親にはならないようにしなくちゃいけないなぁ、と思うわけです。
親は、子どもを持つかどうか、何人持つか、いつがいいか、パートナーと相談して決められますが、子どもは親を選べませんから。
自分とは別人格の誰かから、子育てを経験させてもらっている、というだけのこと。
不器用でいいから、パートナーや子どもに対する謙虚さを持てる人でいたいな、と思います。